豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

 その立ち位置は居心地良いか

世には、有無をも言わせぬ言葉というものがあるらしい。
しかし、そういう大音声が気色悪いと思うことが増えたのはなぜだ。
我に理有りと天を向いたときから、人は堕落してゆくのではないか。絶対正義に見えてその実、べたべたした個人的感傷の産物か、あるいは時代の心象風景を見ているのではないか。私とあなたは違うのだと小さく呟いてみるが、身を任せたほうが楽だということぐらいはわかる。なのに、疑え、疑えと私の頭の中で誰かが叫んでいる。答えは教えてくれない。困ったことである。
好きになってもらうより、大嫌いになってもらうほうが楽だと思うのも、堕落への道でしょうか。


【敵について】茨木のり子



私の敵はどこにいるの?

  君の敵はそれです
  君の敵はあれです
  君の敵はまちがいなくこれです
 ぼくら皆の敵はあなたの敵でもあるのです


ああその答のさわやかさ 明確さ

  あなたはまだわからないのですか
  あなたはまだ本当の生活者じゃない
  あなたは見れども見えずの口ですよ

あるいはそうかもしれない 敵は…

  敵は昔のように鎧かぶとで一騎
  おどり出てくるものじゃない
  現代では計算尺や高等数学や
データを駆使して算出されるものなのです


でもなんだかその敵は
わたしをふるいたたせない
組み付いたらまたただのオトリだったりして
味方だったりして…そんな心配が


  なまけもの
  なまけもの
  君は生涯敵に会えない
  君は生涯生きることがない


いいえ 私は探しているの 私の敵を


  敵は探すものじゃない
  ひしひしとぼくらを取りかこんでいるもの


いいえ 私は待っているの 私の敵を
 
  敵は待つものじゃない
  日々に僕らを侵すもの


いいえ 邂逅の瞬間がある!
私の爪も歯も耳も手足も髪も逆立って
敵!と叫ぶことのできる
私の敵!と叫ぶことのできる
ひとつの出会いがきっと ある。