豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

「女性自身」(11月21日号)にもインタビュー記事


何があったのだろう???
10月中旬に週刊アスキーでインタビューが掲載されたばかりだというのに、またしても細川智栄子&芙〜みんセンセのインタビュー記事が出た。掲載先は「女性自身」。正直言って、プリンセス誌は涼しい顔で買える私でも、こればっかりは立ち読みもカンベンしてくれ!とナイルに叫びたくなる媒体である。
しかし、好奇心は猫を殺す、あるいは背に腹はなんとやらで、マフラーで顔下半分をぐるぐる巻きにした私は無言で雑誌をレジに差出し、袋も断って奪うように買ってきた。自意識過剰だっつーの。
期待通り、芸能ゴシップとジャニネタと韓流スタアと皇室噂てんこ盛りの欲望丸出し雑誌である。表紙が岡田J一だというのがわずかな救い。シノヤマキシン撮影の写真も映りが宜し!
で、この女性週刊誌のどこに細川センセが出てるのかというと、「シリーズ人間」なるコーナー。「週刊アスキー」の“進藤晶子の「え、それってどういうこと?」”は質疑応答をそのまま活字にしたような臨場感のある紙面構成だったが、こちらは智栄子あんど芙〜みん姉妹から直接取材した記者が再構成したものになっている。全7ページ(記事は5ページ分)の大ボリューム。
一読して、私は驚いた。ほんっと〜に、驚いた。ここまで細川センセ(と私が書く場合は、妹の芙〜みんさんも含めている)の肉声が聞けるとは……。やはり連載30周年ということで、何らかの形で心の区切りをつけられたのかもしれない。
進藤版のインタビューは、仕事に対するお二人のスタンスが中心であるのに対し、この「シリーズ人間」のインタビューは、多少は進藤版とダブる話題はあるものの、もっと生々しい「人生を語る」とでもいったスタンスの、かなりツッコんだ話が書かれている。女の一代記っぽい。私はこの記事で、智栄子センセのお年を初めて知った(ここには書かない。ただ、戦前のお生まれとだけつけくわえておく)。ご両親と智栄子センセの幼い頃の写真も掲載されていて、進藤版よりも詳しく生い立ちに言及してある。少女時代から書店で働いていらしたこと、ご母堂の病気のこと、結婚などのプライベートな出来事も初めて知ることは多かった。この記事から推測すると、おしゃべりタイムにいつも似顔絵が出ている、三人目の女性はどうも智栄子センセのご長女らしい。あ〜長年の疑問氷解。すっきりした!
かなり大判の著者近影写真が掲載されているのだが、そのお顔をまじまじと見て、私は今度こそ確信してしまった。智栄子センセはわたしの祖母に目のあたりがよく似ているのだ。もちろん、大正生まれの祖母のほうがずっと年上なので、若い頃の祖母の目に似ていると言わないと失礼になるか。私は巷で俗に言う「三文安いバアちゃん子」なので、微妙に親近感みたいなものを感じてしまう。
まぁ、それと王家の未来に対する期待とは全然別の話なんだけども。


よく文学作品評論などで、作者の経歴、成育史、執筆当時の日記まで遡って背景分析していたりして、それはそれで面白い読み物なのだが、「王家の紋章」に関していえば、私はあんまりそういう裏話は知りたくない。変に書き手の情報を得てしまうと、どうしてもそれを「王家の紋章」に透かして読んでしまうからである。でも、今回ここまで明かされると、あれこれ腑に落ちるというか、なるほどこのへんに影響してるかもねと自分の中で納得する部分も多いのは事実だ。例えば、細川マンガにおいて、大富豪とド庶民の二極化ワールドが展開されるわけが腑に落ちたりして。
そして、このインタビューの一番の衝撃箇所は、非常に似た設定の少女マンガ(たぶん「天は赤い河のほとり」のこと)の登場に病気一歩手前になるほど苦しまれたという告白部分だろう。
さすが女性週刊誌。いやはや、この手の媒体でしか読めない話ってやはりあるんだな。王家ファンとしてこれ読み逃していたらと思うと、読まず嫌いは損だとつくづく感じる。


私はこの告白部分を読んで、心底ほっとした。
おしゃべりタイムあたりで読者の憤激手紙にかこつけて、チラチラほのめかしたりされるより、こうやってはっきり不愉快だったと言ってくれた方が私もすっきりする。そりゃもう当時はネットでも大騒ぎしていたもんだ。ああでもないこうでもないと、ガセネタが飛び交い、両方のファンが罵り合い、目も当てられないありさま。でも、わたしはそういう熱闘から極力遠ざかることにしていた。結局は好みの問題で引き分けるしかないと思うし、だいいち他人の気持ちになり代わって発言するなんぞ、私の趣味ではない(仕事ならともかく!)。悔しければ発奮して作品に込めてくださればいいのだし、それでも我慢できなけりゃ、法的手段に訴える手もある。何より完結しなきゃ比較もできない。もっとも、この件に関しては、心の中で整理がついたので、今回こうやって話すことにしたとあるので、私が特にコメントすることはない。
このインタビューの副題に「時をこえて貫く『少女の祈り』」とある。やはり細川智栄子センセを語るキーワードは『少女』なのね。
私だって少女心とやらを失いたくはないが、かといって、そこに胡坐をかいてるやつをみると横っ面を張り倒してやりたくなるんだわ。そんな私はメンフィスになりたかった少女(それもどうかと思う)
前回、週刊アスキーのインタビューを読んで書いた自分の記事を読み返すと、あまりの自己陶酔っぷりにサブイボが出た。前にも書いたが、私が「王家の紋章」を読み続けているのは、余人を持って換え難い細川ワールド(とカラーイラスト)に惹かれるからであって、中身にはあんまり期待していない。というより、作者の中にあるものしか作品には反映されないのだから、智栄子センセは智栄子センセの人生の織物を織ってくださればいいので、私は時々それを眺めて楽しめたらいいのだわいと思っている。もう、こうなると、なんつーの、一種の生物観察?の心境に達しつつあるのかワタシ。そもそもこのブログに書く王家連載雑感は、もっぱら自分のために書いている。あとで自分のヒートアップ度を笑うために。もし、内容その他に関して作者に言いたいことがあれば、編集部経由で手紙を出すことにしている。いままで二度出している。届いていることは確からしいが、それから先は作者が解決すべきことで、私の感知する領域ではない。私が手紙を書くときは、一対一だと思って乾坤一擲に出すから、他人の存在など全く必要ないのだ。まぁ、つまり、言いたい事を言ってしまえば気が済むという、自分勝手な人間なのね、私は。 
 

あともうひとつ。センセの完璧主義が禍してイラスト集がなかなか出ないらしい。
そうか。秋田書店が出し渋ってるんじゃないと判ったのは収穫だな。
ご自分のなかでいつか踏ん切りがつかれたら、豪華版で出版してください。
必ず買いますから。