豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

 長野・善光寺さんへ初詣に参ること

初詣より帰還いたしました。
長野駅にはうちから最短二時間半、かかっても三時間ちょいで着いてしまうのねぇぇと感心しきりの私に「何度もそう説明したでしょう。何で今まで来なかったのよ?」と駅で出迎えてくれた畏友Qちゃんは納得がいかない様子。うむ……たぶん、わたしは海育ちなので、山国へ出かけると思うとたいそうな旅行をする気分になるからだな。

長野駅には朝九時頃到着。朝方少し雨が降ったそうで、地面が濡れて曇天だったが、構えていたほど寒くはない。長野っ子のQちゃんに言わせると、今年は温かいそうである。とりあえず、お参りせにゃ〜〜!というわけで、善光寺さんへ向かう。


参道はこのようにずうっとまっすぐ。まだ午前中のせいか、人出はぼちぼちまぁまぁといったところ。キョロキョロしながら私は鼻息荒く
「なんかここって、こんぴらさんとか浅草みたいね」
「あ、私も初めて浅草寺行ったとき、善光寺みたいと思ったよ」
とはQちゃんの言。

いい年した女二人、蒸したてそばまんじゅうとかおやき、甘酒、味噌ソフトクリームに誘惑されながらも本堂を目指すのだった。

創建約千四百年というお寺らしく、本堂は「大きい!」の一言。
Qちゃん曰く、このお線香の煙を浴びると、頭が良くなる!?目の色変えて近寄ってみると「炎に注意」のステッカーあり。脳を鍛えるのも命がけね〜と笑いあう。

本堂内に入るとさすがに混雑していた。撫でると病を引き受けてくださるという「びんずるさん」をなんとか触り、お賽銭を投げてひとまず手を合わせる。さらに前方の「内陣」と呼ばれる区画に入るには、別売り入場券(五百円)を購入しなければならない。脱帽・下足のうえ、そろそろと内陣に入って畳の座敷で正座。ちょうど11時からの修正会(しゅしょうえ:正月三が日に行われる国家の平安を祈る儀式)が始まったところだったので、私たちも神妙にお経を聞くのである。この時だけ奥の緞帳が上がって、「前立ち」と呼ばれている御本尊様の分身仏である前立御本尊がちらっと見える。聞くところによると、善光寺のご本尊(一光三尊阿弥陀如来)は秘仏なので鎌倉時代から誰も見たものはいないそうだ。この日の法会は約20分くらい行われていたが、観光客が入れ替わり立ち代わり出入りするので内陣の座敷はたいそうさわがしい。小さい女の子が拍手を打ってお参りしていたり。私たちはいちおう最後まで見届けむにゃむにゃ唱和し、緞帳の奥におわす仏様を遠目でちらっとみて、今度は「お戒壇めぐり」へ。
ご本尊の真下にある真っ暗な地下の回廊をぐるりと回って、ご本尊と繋がった錠前に触れて帰るのだ。こうすると、わたしが極楽往生するあかつきには仏様が迎えに来てくださるというお約束をしたことになる……らしい。鼻をつままれてもわからないくらい真っ暗な闇のなかを、右手に触る壁の感覚だけを頼りにそろそろ進む。といっても、内部は人が多いので「きゃあ〜」とか「誰それちゃんいるぅ??」など傍若無人な会話で騒がしい。Qちゃんに「ほら、ここよここ!ここしっかり触って!」とアドバイスされてなんとかわたしも結縁を果たす(でいいのか?)。10年位前に、奈良の志貴山でもこの戒壇めぐりをやったことがある。あのときは読経BGMつきの真っ暗闇で人気もなく、まさに恐怖の体験だったが……いろんなお戒壇があるものだ。

それから境内をぷらぷら散策し、お守りを幾つか買い求めていざ昼食へ。
「何が食べたい?」
「そばそばそばそばーーーー!そば食べなきゃ帰りませんよあたしゃ」
と大人気なく喚く私をつれ、Qちゃんは門前にある一軒の蕎麦屋へ入った。
(店名忘れました。「藤木庵」だったと思われ→公式サイト

「十割そば」というやつをたのんでみる。つけ汁は二種類あって、手前が摺った胡桃のタレ、奥がとろろ。どちらも美味しかったが、珍しさの点で胡桃汁の勝ち。十割そばって、黒くてぼそぼそしてるのかシラ?と思って食べてみたが、案外コシがあってモチモチ……とまではいわないが、けっこう固くて食べ応えがあった。そば湯も、これは重湯か?と言いたくなるような濃さで、これだけで満腹。

それから門前町をプラプラし、買い物買い物。
布わらじに七味唐辛子、おやきに、地酒にetc.

門前にはずらっと「宿坊」が並んでいて(三十九箇所もあるらしい)、普段はどこも門が閉ざされているそうだが、お正月なので、一斉に門を開放して各玄関に設えた正月飾りを見えるようにしている。いろいろ趣向を凝らしてあって目にも楽しい。なかでも、160年ほど前に「東路日記」の作者である小田宅子さん-(「姥ざかり花の旅笠」田辺聖子/集英社文庫)が逗留した宿坊が現在もちゃんとあることにも驚いた。

これは玄関飾りではないが、雪よけが珍しかったのでパチリと一枚。


もう一箇所、ここまで来たら忘れてはなるまい。あの名所。
今年のNHK大河ドラマ「風林火山」のクライマックスでも出てくる(たぶん)。

現在では正式には「八幡原史跡公園」というそうである。市内中心部からは、千曲川を越えて車で10分くらい行ったところにある。大半は神社の敷地なのだが、社殿よりも目を惹くものといえばコレ。

反対から撮ると

こんなかんじ。きゃぁぁ〜謙信さんかっちょぇぇ〜〜と松林に叫ぶ女約一名。
だって、真横から見ると謙信さんの気迫に押されたのか(?)後ろの松の木が一斉に傾いでいるのだもの。ぐぐっと。いやいや、風のせいだよとか言ってくれるなQちゃん。なんでも、この像は「昔『風林火山』の映画が大ブームになったときに作られた」そうである。社務所のところにNHK大河ドラマ「風林火山」のポスターも貼ってあったし(初めてみたけど、あの謙信のビジュアルはスゲー)広いバス駐車スペースはあるわで、観光客待ち構えてますね?ってかんじ。
とはいえ、人気のあまりない夕暮れ時には、ちと遠慮したい場所かもである。なにしろ傍には「首塚」とかあるし。やはり「出る」そうである……(Qちゃん談)

ここで四時になったので、急いで隣の松代へ移動。
真田・十万石の城下町である。町村合併で長野市に組み込まれたが、もとは「松代町」だったそうな。町内のそこかしこに有名な真田家の家紋「六文銭」のマークあるのが、らしくて面白い。女優の松井須磨子とか、「硫黄島からの手紙」で有名になった栗林中将(渡辺謙が演じている)も松代の出身なんだそうである。真田歴史館の展示を駆け足で見学して、帰り道で松代城(平城の城門しかないけど、なかなかステキであった)を眺め、再び市内へ戻る。夜はゆば懐石など食し、八時半の新幹線に乗って帰途に着いた。松代には温泉もあるので、今度はゆっくり温泉に漬かりに行きたいもんである。

正月休みだというのに、右も左もわからぬ私のために車を出してくれたQ嬢のふるさとは、山近く空気が澄んで、ちゃらちゃらしたところはないが人温かく、実によいところであった。ほんとありがとね。