言葉よりも
親友が死んだ。
なぜそんなことになったのか、詳しいことは知らない。
私が出した喪中欠礼に、ご両親からお返事を戴いた。
なぜかそれが喪中欠礼のハガキだったので、
不思議に思って裏返し、そこで初めて
私は彼女がもうこの世にいないことを知ったのだった。
それでも私は日々の雑事をこなし
見知らぬ人に微笑みかけ
仕事帰りに夕食のおかずをみつくろい
大根を煮ながら、メールの返事を打ちつつ
打ち合わせに励まねばならない。
私は最近人ごみが憎い。
こんなに人がたくさんいるのに、彼女はもうどこにもいないんだと
思い知らされて悲しいから。
私は夜も憎い。
何事もなく目がさめ、変わりばえのしない朝がやってくるから。
私は自分の空疎な言葉が憎い。
どんなに言葉を連ねても
ひとの心には届かぬことがあるのだと
ときには負担にさえなったかもしれないと思えるから。
違う運命はなかったのだろうかと、訃報を知らせた友は
電話の向こうで号泣した。
なかったのよ。
そう思わないと彼女が悲しむ。
そう思わないと私も生きていけないじゃない。
こうして、自己陶酔的に書きつづったところで虚しいばかりだ。
でも書かずにいられない。
いつかあなたに読んでもらえる?とでも。
そんなことあるわけないのに。