豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

2008年6月号月刊プリンセス連載分雑感

月刊 プリンセス 2008年 06月号 [雑誌]【今月ネタバレあらすじ】
天空にセプデト星が現れ、ナイル河の氾濫が始まる。エジプトの国中が民も臣下も一体となって氾濫を喜び感謝にわきかえる様を、賓客ミノス王は驚きの眼で見守っていた。いよいよ帰国が明日に迫り、恋い慕うナイルの姫との別れに後ろ髪を引かれるミノスだったが、彼女から贈られた励ましの言葉は、彼女に認められる国王たらんと少年王の心を奮い立たせるのだった。ユクタス将軍は、そんな少年君主の成長を大いに喜ぶ。
その頃、留守を預かるミノアの王太后は、エジプトへ旅出せた息子の身を案じていた。息子が健康を取り戻したのは喜ばしいが、エーゲ海世界に不穏な気配が立ち始めた今、ミノアの繁栄の為にも息子の傍にはやはりナイルの姫が必要。なんとしてもナイルの姫をこのミノアへ引き寄せたい――王太后は臣下に宣言する。
国中が眠らぬ夜も明け、ミノス王一行の旅立ちの朝がやってきた。
別れ際にミノスはエジプト王妃に対しもう一度ミノアへ訪問を招請するが、妃は病み上がりの身であるとして、王メンフィスから断固たる拒絶に合う。初めて事情を知ったミノス王は動揺し蒼ざめて詫びるも、キャロルは改めて火の島について警告を与える。あの島は近い未来大噴火をおこし、一夜にして大部分が沈む。変事があればすぐに脱出を、と勧める彼女に対し、ミノスはちゃっかりと何事かがあればミノアへ来ると約束してくれますね、と逆に訪問の承諾を取り付けてしまう。憤然とするメンフィス王と、朗らかな王妃、邪魔者プシタの帰国に喜色満面のネバメンらに見送られて、ミノス王一行はエジプトを後にし、エジプト王夫妻は他愛もない夫婦喧嘩を始める。
順調に北上した船がキプロス沖に差し掛かった頃、ミノス王の御家来衆に納まったプシタは、心にひっかかっていた事をついに思い出す。タルシシ旦那の死を知らされて大声で泣かれたご立派な弟君さま。しかし、あの声はどこかで聞いたことがある――旦那の船で働かせていた奴隷のなかに似た声が!
そんなプシタの独り言を偶然耳にしたのがミノス王。
「わたしだけに話せ!エジプト王の弟君の声がタルシシの奴隷の声に似ていると…!」
思わぬ情報を得て、ミノスはタルシシを問い詰め始めた。

以下、7月号に続く。


【今月のお言葉】
わたしは21世紀からきたの 
古代の人々に知らせることが きっと……
わたしの使命……
*1


【今月雑感】
まずはめでたい新刊情報。今では年1冊の刊行となってしまった新刊(53巻)が、6月16日に発売されるらしい。しかしイラスト集発売日情報は依然ナシのツブテって……大丈夫なのかいな……というわけで、来月付録に「王家の紋章ブックカバー」(おそらく新書サイズ)なるものをつけるのは、もしやイラスト集出るまでワタシのよーな純情可憐読者の興味をひきつけておこうというたくらみか!
性懲りも無く購読してみた今月号、お待たせ32部スタートの巻頭カラーファラオが珍しく老け顔でいいでないかい〜
いつもそういう顔しておいてほしいものだ。眉間とか眼尻にこう、なんつーか両面テープでも貼って百面相防止ギブスにしてみたらいかがかファラオ。

物語の始まりは、いつもの通り、全てにおいて激しくデジャブな場面の連打である。滔々たるナイルの氾濫、熱狂する善男善女の民草が一斉唱和するエンドレス姫さまコール、空を乱れ飛ぶ捧げ物、夜の水面には松明の光点がどこまでも広がり、3度目(?)でも感激しまくりヒロイン、ほほぅと目を見張る異国の客人etc. 居ないのはアルゴン配下の暗殺者くらいか?

ついでに、今月号モノローグにおいて「セプデト星=オシリス星」と注釈ついているのだが、セプデト、もといソプデト(Sopdet)の化身ってソプデト女神ではなかったっけ?「オシリス星」という呼び方もあるのかなぁ。ヒマなときに調べてみよう。ソプデト女神はオシリス神と交わって明けの星を生んだとされているそうだ。ソプデトの現代での呼び方は「シリウス(天狼星)」。古代ではソプデトは「ソティス」(Sothis)とも呼ばれたし、王家でも昔はこの星の呼び名は「セプデト星」じゃなくて「ソティス星」だった……ほら、アレにも出てくるではありませんか。
「誰にこそ告げん 我がケメトにソティス星現れしとき 黄金に輝ける乙女 イテルの岸に立つ」という、あのソティス星(空で書いてる自分が呪わしい…)。
ま、どうってことのない箇所ではあるが、王家の背景によく引用される詩文には個人的にけっこう好きなものがあったりするので、できれば表記も昔のまま変えないで欲しいなあと思うのである。なかでもナイル賛歌というのは本当に古代の人が作ったものというのを知って以来、あの歌をバックにした氾濫シーンはとても好きだ。
つらつら思い返すに、子ども時代、王家のエジプトにハマる前、私はエジプト神話を某テレビ番組で見てカンドーしていた。邪悪な弟の謀略により細切れにされた夫オシリスの肉体を捜して、妻のイシスがナイルの岸辺をさまよい歩いたというあの神話だ。一昨年あたり、そのTV番組のビデオを借りてン十年ぶりかで見たのだが、葦茂るナイルのキラキラ光る水面を映しながら、淡々と流れる朗読、某巨匠の叙情的な音楽に浸りながら、ああこれだこの映像のイメージが王家読者としての私の根っこにあるんだなと苦笑いしてしまった。鳥に身を変えたイシスがオシリスと交わるシーンは、画面上子どもには何のことだかわからないようなソフトな演出になっていたが、子ども心になんて悲劇的な純愛なの〜とか感動してたり。


褐色の肌の書記は、澄んだ目で語る。
 
「悠遠なる時の流れのなかで、様々な神殿や柱廊が建てられ、そして崩れ去りました。石碑は砂に埋もれ、墓は忘れ去られ、ひとは死にます。当時の人間はみな消えてしまいました。しかし私たちが刻んだ文字は、その記憶を伝え、人々はそれを語り継いでいきます。書物は宮殿よりも神殿の石柱よりも永遠です。」 


その心意気や善しではないか。
いやだから何の話かというとですね、キャロルに懇願しているようにしか見えないメンフィスが「そなたはわたしの腕のなかにおれい…」なる波ザザザシーンを眺めながら、いずれキャロルはミノアに行かざるを得ないんじゃないかと、そんな気がしてきたんである。古代の人々はなんて素直に感謝と喜びをあらわすのでしょうと感動しつつ、彼らが誰もサントリー二―島の大噴火を信じないことに憤るキャロルの目線は、いつもちょい上からのそれ。ちと厭らしくないかね黄金のお姫さま。また、キツネ・ヒューリア・ミノスと手を離れていったキャロルは、次なる人生目標としてサントリー二島の大爆発を人々に警告するのが自分の「使命」なんて口走りはじめた。この大上段発言にも正直やれやれである。神の娘には「使命」がないとサマにならんとですか。

ズボラーなる私は、自称物覚えが良いので重宝されてたというプシタのマイペースっぷりが可笑しくて好きだなぁ。カレブとかもそうだけど、見た目むさ苦しいヒゲおやぢ、性格はちゃっかりしてて図々しいかと思えば権威に弱っちいおっさんキャラを描くとき、なんか筆さばきからして楽しそうだなと思うのである。例外はネバか。あそこまで、成金趣味の肝っ玉小さいヘタレ悪党になり下がった奴の「悪行」ってどんなだ。まさかタダ飯か?悪趣味なパイソン柄マントの仕立代踏み倒したとか、メクメク無視してぺルトを指名したとか、カプターに進呈した黄金の胸飾りを盗み返したことか?せっこー
そして忘恩は王家キャラの嗜みとはいえ、ミノア王太后の企みはいかにも芸がない。ミノスがこの先プシタ情報を操って、母上を排除するくらいのブラック青年王に成長してくれれば、ええきっと面白くなりません。

*1:キャロル