豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

あけましておめでとう

明日から仕事始めなんで、月並ながら抱負でも書いておきますか。
去年の新年抱負を読み返していて、我が事ながら少なからず感慨を覚えるのは、あれから僅か数ヶ月後に退職することになるなんて丸っきり想像出来ていない己の暢気さに呆れるからだろう。まぁ、そうはいっても会社組織なんて入ってみないと実際のところは判らないものだし、自分の能力不足は当然だが、入社のタイミングとか社内各部署の力関係とか上司の性格とか社内の空気とか業績とか社長の感情の振幅具合とか、こちとら末端の平社員といえどいろいろな要素に巻き込まれてしまうわけで、その時期使い物にならないと見なされたからといって、そりゃミスマッチもありえたわけで、別に人間失格のように落ち込むことはないんだよな、と今は思える。当時は毎日心臓がキリキリするくらい辛かったが、あれもいい勉強だったなぁ。それでも、その後の再就職活動期の不安感に較べれば、まだまだ甘かったが。何しろワタシ緊張のあまり就職面接でスーツの上着を忘れていったのだ!(コートを上に着ていたので玄関で脱ぐまで気がつかなかった。当然、不採用だった。。。)そして、飯田橋の東京しごとセンターへ求人情報収集の為に通っていた日々、夜闇に浮かびあがる某A書店社屋(+正面玄関の発刊物陳列棚)を目にするたびに、「おのれ、今月のアレはなんじゃぁああーーーー世界に愛を発信するだとおおおおーーー歯が腐るような愛よかワタシに食い扶持をよこさんかぁぁーーーーー」と発奮していたのは私です。その節は落ちてばかりの面接へのモチベーションを上げていただきどうもありがとうございました(にっこり)。
それはともかく。
当時の私は、「会社というものは相性があるし、あなたはあなたの能力が生かせる場所がきっとあるんだから、諦めずに探しなさい」という上司からの餞の言葉を信じるしかなかった。その後、なんとか今の会社に滑り込めだが、ここがワタシの居場所かどうかはまだわからない。でも、前職よりは格段に息がし易くなったとは思う。先は不透明だが今はそれだけが救いだ。かように私のパラダイスはまだ見出せないが、探し続けないとそれはきっと見つからないのだろう。あるいは、自分で作るしかない。昨日、数年ぶりに旧友から年賀状が届いた。文面では猫を抱いて元気そうだったが、最近体を壊して会社を辞めたという一言があって、胸が痛んだ。私が今ここにこうしていられるのは、本当に偶然でしかないんじゃないか。今の世相を眺めだに未来が明るいとは到底思えないし、むしろどんどん酷いことになっているという実感しかない。先は長く、重たいまま人生は続いてゆく。勝つ方法なんてわからない。万事謙虚でいればいいかというと、それも単に思考放棄の甘えでしかなかったりするのでなかなか難しい。
でも戦いを投げるのは嫌だ。
泣くのは嫌だ。拗ねるのも嫌。
人を恨んだり、憎んだりしたくない。
私は私を生きて、私にたどりついて、私のまま死にたい。
そして先で待ってくれている(はずの)あのひとたちに、これこれこういうことがあってだね〜と話を聞いてもらいたい。
できれば、日々、ああ自分よくやったな、楽しかったなと満足して布団に滑り込めたらいい。



健闘を祈る。