豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

 追悼

昼休みに携帯に妹からメールが来ているのに気づき、開いて、栗本薫さんの訃報を知った。
「がん病棟の〜」を読んでから、彼女のことが気にはなっていたので、時折公式サイトをのぞき(数年前と変わらぬ度肝を抜かれるようなデザインに驚愕しつつ)近況がUPされていることに安心していたのだが、一瞬、頭を殴られたようなショックを受けた。

でも、たぶんこのショックは個人的な事情による部分が大きい。
あとは「グインサーガ」が未完になってしまった…という呆然感だろうか。新刊を追いかけることはなくなったとはいえ、完結したら一気読みしようと楽しみにしているくらいには、私はまだあの物語に愛情を感じている。豹頭のグインはどこから来た何者なのか、アウラとはどのような関係にあるのか、最終巻タイトル「豹頭王の花嫁」の意味は。売国妃シルヴィアの所業はいかなるもので、三国鼎立となる中原はどうなっていくのか。凶運の星がイシュトヴァーンその人を捕らえると何が起こるのか。パロの不思議な古代機械の由来は?リンダはこの先どうなるのか…知りたいことは沢山あるのに、あの世界とアクセスできるキーマンがいなくなってしまった。

グインを読み始めたのは、高校生のときだったが、そもそものきっかけは中学2年の時の国語担任のあっちゃん先生が、授業そっちのけでマイおススメ小説として長々演説をぶったことに始まる。
高校生になり、ふと思い出して期末考査の後の気晴らしに図書館で5冊借り、一気にハマった。隣席のT君にも布教し、T君の成績を下げたのも私である。本を手元において置きたくて、せっせと古本屋に通い、少しずつ揃え、大学に入ってやっと最新刊まで追いついた。そして新刊が出るたび初日に買い求め、わくわくしながら読んだのだ。そしてナリスを見届けて一旦休止し今に至る。

グインサーガ」には夢中になったが、私は、たぶん純粋な意味では栗本薫のファンではない。
テレビ出ていたという華やかな頃を全く存じ上げないし、SFも読んでいないし、「魔界水滸伝」手付かず。
同じ作者だというので「真夜中の天使」も「天狼星シリーズ」も「鬼面の研究」も「コミュニケーション不全症候群」も「タナトスの子どもたち」も「パロスの剣」も、「甘い蜜の部屋」までも確か読んだはずだが、今では筋もほとんど覚えていないし、栗本さんが切り開いたといわれているJUNEものは、私には全くピンと来なかったのだ。ただ、小説指南として書かれた「小説道場」には強烈な印象を受けたが。
所詮私には、栗本さんの世界、あの極限まで依存するような愛憎関係を謳う美意識が理解できないということなのだ。グインにおいても、作者が熱烈に自己投影して愛していると宣言して憚らないクリスタル公アルド・ナリスのどこが良いのかさっぱりわからず(私は廃帝サウル陛下と黒竜将軍グインのファンであった。あとカメロンとマライア皇后…)、間違った読み方をしているんじゃないかと時々不安に駆られたものだ。インターネットデビューは「グインの小部屋」というファンサイトで、そこの掲示板を読むことで、私の読み方でも別にいいんだなと開き直った。

私が愛唱したのは「彼は昔の彼ならず」という魔道師イエライシャの言葉だ。
結局のところ、大長編グインサーガが描き出した世界、人は変わり、時は流れるというテーマに惹かれたのだろうなと思える。ならば、あの物語が完結しなかったことも、テーマにふさわしいラストなのかもしれない。
(他の作家が引き継ぐ云々という話もあるらしいが、私にはどうでもいいことだ)


栗本さん、「グインサーガ」をありがとう。安らかにおやすみください。
いつかまたお会いしましょう。その時は、続きを聞かせて下さい。