豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

 醒めよ さなくば永遠に堕ちてあれ


かつてある人が、自分が本当に好きなもののことはネットでは言及しないことにしていると言ったのを聞き、私は深く同意したものだが、今日だけは禁を破ろうと思う。



漫画家の佐藤史生氏が、この4月4日に亡くなった。
数年前に乳がんの摘出手術を受けられていたが、昨年になって転移が確認され11月に再入院。そして桜が満開の頃に逝ってしまったという(友人である坂田靖子氏のホームページ上で告知があった)。

私は先週土曜日に某古書店にひっそり掲示されていた追悼記事でこの訃報を知ったのだが、一瞬、ぐらりと視界が傾いたような錯覚を覚えた。何度読み返してもそこには「4月4日に病で永眠」と書かれてあり、信じたくなかったが、これは事実だという予感がした。帰宅後調べてみて、やはり動かしがたい事実が私にのしかかってきただけだった。

佐藤史生の描きだした世界を何といえばいいだろう。
本格派SFを描いた漫画家と評価が高いが、なにしろ寡作な作家だったので、10年以上かかって足とネットを使って作品を集め、揃えた単行本を何度も何度も読んだ。読めば読むほど引き込まれたが、反面、わからない部分も多すぎた。第一、わたしの頭はSF向きとは到底言いがたい。
でも、わたしはあのわからなさがたまらなく好きだった。
これは個人的趣味の域になるが、男性の肢体の描き方がなんとも官能的で。
それでいて、話は抑制が効きすぎているというか、全体に無駄がない。
それは登場人物の造形にも言えるし、とにかくあの台詞回しの、言葉の妙ときたら!

あまりにも眩しくて、遠くでまたたく星を眺めるような、うっとりと見つめるしかない花のような、そういう存在だった。

そんなとき、偶然ご本人に会った。
思い返せば、まだ病がわかる前のことではないかと思うが、当時、活動はほとんどされていなかった。

ネット上の漫画愛好者の情報から、吉祥寺で少女漫画家有志による手作りグッズの即売会があるというのを聞きつけ、その出品メンバーの中に佐藤さんの名前を見つけた私は胸を躍らせてかけつけたのだった。駅から少し離れた小さなギャラリーを借り切り、そのイベントが行われていた。なかを一巡しふと棚をみると、非売品の絵が飾ってあって、それが佐藤さんのイラストだった。私はその青い巨人と赤毛の小人のイラストに惹かれ、欲しいと思ったが、誰にどう交渉すればいいのかわからず、うろうろとそのへんを見て回っていた。室内はそこそこお客がいたが、ひっそりと静かで、年上の女性のグループが多かった。

そうこうしているうちに、陳列してあるグッズのなかに佐藤さんのものがあるのに気づいて、まじまじとその便箋の柄を見ていた私は思わず
「あ、これ『美女と野獣』だ」と呟いてしまった。
そのとき、私の脇にいた中年女性が振り向いたのである。
そして、わたしと目が合った。
あら知ってるの?といいたげな、そんな物問いたげな視線だった。

後から考えるとおかしなことだが、私は、ひょっとして!?と思ったのである。
で、咄嗟に口をついて出たのが不躾すぎる質問。

「失礼ですけど、もしかして、佐藤史生先生ですか?」


ところが驚いたことに

「はい。そうです」

とあっさりと答えが返ってきた。
その時の私の驚きをどういえばいいのだろう。
天地がひっくりかえるとはああいう瞬間を言う。なにしろ顔写真を公表されていないから、存在自体が想像外な方なのだ。
後は、動揺しすぎて何を言ったかよく覚えていない。
ただ、あなたの作品のファンです!と、そう繰り返したと思う。
(あら珍しい・・・と、佐藤さんはそう言って微笑んだと記憶している)
おそるおそる握手をしてもらった。
そして私はこともあろうに初対面の佐藤さんに、あの青い巨人のイラストは売っていただけないのか?と直談判してみたんである。佐藤さんは、あれは半分印刷なので、お売りするのもどうかと思い非売品にしてあるんです、と答えてくれたが、私がそれでもいいので、と強いてお願いしたところ快諾していただいた。
これは大きいものと小さいものの対比で描いてみたかったんです、と穏やかに解説して下さった。
憧れのひとは、想像通り、とても大人で静かな方だった。
ほぅと、ため息をついて私は帰途につき、今日は手を洗わないと心に誓いつつ「夢見る惑星」を読み返した。


もう一度お会いしたいなどという大望は抱かないが、もう一作、新作を読ませていただきたかった。
この間まで、故郷の宮城県にある石ノ森章太郎ふるさと記念館で特別企画展が開催されていたというのも、昨日知ったばかり(参照)。
展覧会のレポートを読んでいると、じんわり泣けてきた。

それでも、佐藤史生の世界はちゃんと残っている。

わたしのなかにある。
ちゃんと理解できているかどうか怪しいが、手放すことはない。



ありがとうございました。
ご冥福を心からお祈りします。