豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

 映画「敬愛なるベートーヴェン」雑感

Copying Beethoven [Music from the Motion Picture]
監督:アニエスカ・ホランド
出演:エド・ハリス 
   ダイアン・クルーガーほか
2005年イギリス・ハンガリー映画
上映時間 1時間44分
原題: Copying Beethoven ⇒公式サイト


【鑑賞メモ】
12月9日から公開されるのだが、試写会に当たったので先に観てきた。しかも、ピアニスト仲道郁代さんの生演奏と字幕にも協力したというベートーヴェン研究家平野 昭さんのトークショウのオマケつき。場所は富ヶ谷にある白寿ホールというコンサートホール。初めて行ったけど、本物のコンサートホールだったので、生演奏音はピンと張りつめてよく聴こえ、劇中音楽は天上から降ってくるかんじで、それはそれはすごかった(そのぶん半端なスクリーンサイズのせいで、ややギャップがあったような気がする。ま、途中で気にならなくなったけど)。
しかし、ワタシの目当てはあくまでも髪のあるエド・ハリスである。今年は二本も出演作が日本で公開されて私はとても嬉しい。しかも、こんなフサフサに髪を生やしたのって「アポロ13」のジーン・クランツ役以来じゃなくって??去年、ミラマックスのサイトで彼のベートーヴェン扮装フォト見たとき、わたしゃ椅子から転落したよ。予告編でも使われている、この第九の初演シーン、耳の障害のせいで細かいタイミングがわからないベートーヴェンのために、アンナが手振りで補佐をするというたしかに感動的な場面なんだが、マエストロのあまりのテンションの高さに加えて、カメラアングルが仰角気味なものだから、ワタシはあなたの生え際が気になって気になって気になって……感動よりなにより、ハラハラしました(ヅラが飛ぶわけねーだろっての)。私は一度惚れると、けっこうしつこい。あんまり熱狂はしないが、淡々と、じとっと追いかけるタイプ。エド・ハリスの出演作は必ず映画館で見るようにしているが、なかには、これはダメかもぉと言いたいのもある(役が好みに合わないのであって、彼がダメだと言っているわけじゃない。例えば「戦争のはじめかた」のチキン将校とか……)

でも、意外とこの第九初演の後のエピソードが良かった。そのため☆ひとつ上げてみた。
エド・ハリス演じるベートーヴェンは耳が悪いせいもあって、偏屈でテンション高くて、傲岸不遜で、人の話は全然聞いちゃあいないわ、腹はたるんでるわ、病人をこきつかうわ、セクハラもどきに下品で身なりに構わぬ、実にヤなオヤジなんだが、後半のアンナと居るときに見せる繊細さが私には非常ォに魅力的に映った。膝ついて懇願するとこなんざ、うっふっふてなものである(腐)。

上映前のトークから得た聞きかじり情報によると、原題の「Copying Beethoven 」というのは、主人公のアンナ・ホルツ(ダイアン・クルーガー)がベートーヴェンエド・ハリス)の写譜士(作曲家の手書き譜面を出版社に渡す前に浄書する人のこと。コピイスト)であることからつけられているらしい。ベートーヴェンの生涯には九名の写譜士が関与したことが確認されているそうで、この映画の時代背景となった1824年〜1827年の間には三名の写譜士がいたといわれている。そのなかの一人が、筆跡は判明しているのだが名前がわからないひとなので、「ミスターX」 と言われている。この映画では、その「ミスターX」をアンナ・ホルツという作曲家志望の若い女子学生にしてあるのがミソ。生涯独身で、惚れた女にふられるたびに名曲を書いた(らしい)ベートーヴェンの理想の女性を凝縮したようなヒロインがアンナである。彼女の名前も、実在した写譜士シュトレーマー(映画にも出てくるプリティー爺さん)の妻アンナと、ベートヴェンの秘書ホルツをミックスして命名されているのじゃないでしょうか、と平野氏。総じてアニエスカ・ホランド監督は史実や資料をよく調べて、ベートーヴェンに敬意を払い、なおかつ女性監督らしい視点も持ち込んでこの映画を作ってますよね、ベートーヴェンものの映画は沢山あるが僕はこれが一番いいと思う、「敬愛なる」という邦題は最初ヘンだとおもったけど、今はけっこういいんじゃない?と思ってるんですよ〜という好意的なコメントだったと思う。仲道&平野の両氏が揃って評価していたのは、この映画が「恋愛映画じゃない点」。お二人ともそこがよかったと言う。

わたしは別にクラシックファンでもないので、映画の最初のあたりは、髪をかきむしる孤高の芸術家のお話はあんまりついていけないカモ〜〜とか冷めていたのだが、最後まで観て、けっこういいじゃないかと思い直した。師弟愛を超えた愛が生まれる〜とコピーがついているけど、客寄せにしてもこれはいただけない。愛というか、アンナとべートーヴェンの関係はもっと広くて深いように見えた。慈しみ、共感、労わりでもあるし、神の音楽にとりつかれた同志愛でむすびつけられ、好意は抱いているけれど、敬意も決して失われていない。それを「敬愛」というなら、この邦題もあながち的外れでもないと思う。アンナがベートーヴェンの足を洗うシーンは、神を求めつづけた年老いた巡礼を、旅の終着点でねぎらう修道女のようだった。ダイアン・クルーガー演じるアンナは理知的で、自分の言葉を持つ現代的な女性として登場する。1824年頃に女性が作曲家として一本立ちするって、どんなに大変だったろう。ほんとうにそんな女性作曲家がいたんだろうか?と考えさせられたりして。そういうわけで、私も見ていて気持ちよい映画だった。