豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

  If you're tangled up, just tango on.

その日、帰りの飛行機に乗り遅れ、突如十二時間の自由時間を下賜された私は、セントラルパークを薄着でぷらぷら歩いていた。三日前には真っ白だったというのに、今じゃ半袖ランナーがあちこちにいるわ〜と感動しながらフリックコレクション目指して歩いていたとき、私の携帯が鳴った。旅連れカレブ(仮)からの呼び出しだ。いまセントラルパークの東側を散歩中と答えると
「ピエールでお茶でもどう?」
「いいねぇ」と私は快諾する。
カレブはショックのあまりホテルで寝込んでいるとばかり思っていたのだが、案外元気な声だ。ほほうお主も開き直ったか、と私はにやりとする。2時間前に空港カウンターでお主が「こんなバカな話聞いた事ない!!」と吼えまくっていたときは、ここで一生サヨナラか?と思ったものだが、マンハッタンに戻るタクシーの車内で必死に目ぼしいホテルに電話かけまくっているうちに、私たちなんとなく元の木阿弥に戻ってしまったわね(遠い目)。
それにしても箱ティッシュのちり紙を花型に折るような老舗ホテルinシカゴで始まったこの旅も、東に移動するにつれ段々壁は薄くなり、ベットは小さくなり、タオルはゴワゴワになり、客層は若く騒々しくなり、とうとう今夜の部屋は窓ガラスにヒビが入ってるうえ、バスタブの栓は無いわ、テレビは点かないわ、テーブルは上に物を置いたらひっくり返っちゃうような大歓迎って……わたしたちって絵に描いた様な落ちぶれぶりよね。紹介してくれた旅行会社の窓口案内氏も「ホテルKは女性にはちょっとおススメできかねますが……」と微妙な口ぶりだったけれど、私とカレブは今夜ベッドで眠れるならOKということで、そこにタクシーを乗り付け、まっすぐチェックインしてしまったのだった。今朝チェックアウトしたばかりのホテルが2ブロック先にあることを考えると己のバカさかげんに白目になりそうだったが。んが、何はともあれ、旅連れが立ち直りの早い人間なのは助かる。
「え〜と、でもわたし今ジーパンにスニーカーだけど?追い出されないかな」
「大丈夫だって」
「そうか?んじゃ行くわ」
そういうわけで、私はかねてより憧れの超高級ホテル、ザ・ピエール(参照)の見物に出かけた。

なにゆえそこが憧れの場所かというと、私の大好きな映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」のなかでも屈指の名シーンの舞台になったところだから。他でもない、アル・パチーノ演ずる盲目の退役軍人が、ここのホテルのカフェで出あった若い女性と華麗にタンゴを踊るシーンがそう。
一階にあるカフェに入ってみると、既にカレブは到着していて先にワインなど飲んでいる。私はそんなにお腹はすいていなかったので、とりあえずコーヒーを頼む。
「あんたが見たがってたのってここのことでしょ?」
「違うなあ。映画じゃこんな薄暗くなかったもん。こっち側にこんな階段だってなかったし、中央がけっこう広い楕円形のフロアになっていて窓があって……あ、そうそう奥が階段になっててさぁ……ドナがスレード中佐と踊り終わったところに、そこからドナの彼氏が駆け下りてきて、慇懃無礼な挨拶して彼女を連れて行ってしまうの、覚えてない?」
「覚えてない」
「とにかくここじゃないのよね!」
仕方ないので、私はコーヒーを持ってきてくれたウェイターを捕まえて、アルパチーノだのセントオブアウーマンだのダンスウィズヤングガールだのと怪しいタンゴじゃなかった、単語を並び立てて訊いてみた。すると、笑顔が素適な東洋系のメガネウェイター氏は、右手の扉を指差し、あの奥の区画がそうだというではないの!今日は閉鎖しているけど、食事の後でのぞいてみることはできるよと教えてくれた。
で、わたしは安心してケーキを追加注文してみたりするわけだ。メニューには載ってなかったのだけど、「わたくしはニューヨークチーズケーキが食べたいのであります!」と力説すると、「あなたはラッキー。今日は作ってあるからお出しできるよ」と、にこやかな返答(あくまで脳内変換バージョン)。わたくしも感涙に咽んだ。コーヒーとケーキで21ドルもしたけれど、コーヒーはいくらでもお替りさせてくれたし、チーズケーキは期待通り濃厚で、飾りのイチゴシロップ煮?も甘すぎず美味しかった。カレブはカレブで、銀のナイフとフォークでハンバーガーを平らげてご機嫌である。
「けどさ〜なんであんたはあの映画がそんなに好きなのよ?」
ここでワタシははたと考え込んでしまった。
う〜む。これまたお主は私が説明しにくいことを訊くのぅ。そうねぇ…たぶん私は、あの映画で人生に絶望し鬱屈しきった男が、死出の旅の介助役に雇った若者チャーリーと寝起きを共にするうちに(ヘンな意味ではない)ちょっとずつ心を開いていって、再生してゆくところに救われるんだわ。つまり主人公は「足が絡まっても踊り続ければいいじゃないか」という境地にたどり着くよね。そういう優しくしなやかな物語があたしゃ好きなのよ。それに個人的に擬似父子関係ものに弱いし。あの映画はそれぞれは何てことのないエピソードなんだけど、心に沁みるシーンが多いんだわ。チャーリー役のクリス・オドネルも純朴そうで頑固な雰囲気が嵌ってたしさぁ。それにあれにはフィリップ・シーモア・ホフマンだって出てるのよ!ボンボンの男子高校生の役で!!

……なんてことをつらつらと(一方的に)喋った記憶があるなぁ。

食事が済むと、もの柔らかな笑顔が素適なウエイター氏は約束どおり、私たちに隣室を見せてくれた。
そこは白いボールルームで、今夜結婚式があるとかでセッティング進行中だった。室内は私が思っていたよりやや狭くて、映画のマジックに驚かされたが、間取りは記憶の通りだった。こちらのほうが通りに面しているので陽光が入り、カフェスペースよりもずっと明るいのだ。
そこには映画でタンゴを奏でた楽団も、テーブルも、キャンドルも、華麗な飾りも、さんざめく紳士淑女も、そして勿論アル・パチーノもいなかったけれど、彼が踊ったまさにその場所に立ち、わたしは暫しの間くらくらする様な幸福感に浸った。

あの時は自分だけが興奮して気付かなかったけど、たぶん私のためにあそこに誘ってくれたんだろうと思う。カレブよ、正直あの日はすまんかった。これからは時間はおカネで買うよう務めます。ハイ。

セント・オブ・ウーマン 夢の香り