豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

 録画をしておいた「マンガノゲンバ」を見る

なんつーか、私はサントラ盤でもドラマ部分だけ飛ばして聴くような子どもだったので、今頃になって目の前のテレビ画面に智栄子センセのあの絵が映り、BGMは「ハムナプトラ」、そのうえスバッだのガオーだのギギギーだのちゃんとした効果音もつき、達者な声優さんがあてた「わたしの妻になれ」だの「アッシリアの女にはもう飽きたわ」だの「大事なそなたを傷つけたりするものか。この腕に抱き、いまにメンフィスを忘れさせてやるぞ」だのという血気盛んなセリフの数々(そしてたぶん全部同じ声優・爆)、「あなたを愛しているわ。死んではいやよ」など可愛らしく絶叫する声を夜中にヘッドフォンで聴かされた日には、どっちを向いていいのかわからない。メンフィスが激怒して墓泥棒を斬殺するシーンなんか、BGMが「ホムダイの呪い」(混声合唱のおどろしいやつ)だったものだから、背後に湧き出す虫が見えた。(後半の「蒼天の拳」のドラマはもっとすごかったが。コマの中の絵を効果音どおりに動かすべくCG使ってるし…そういえば、今回の前半と後半、微妙に主演男優の声で繋がってるな。どーでもいいことだが)。


今回の番組で私は思い知った。
映像化したら云々と話題になることも多い「王家」だが、仮にそんな企画が実現したとして、私は十中八九正視に耐えない。作品の質の話じゃなくて私の軟弱な神経が。アニメ版でもきっとダメだ。実写?いやいやもっとダメ。一人薄暗く部屋でプリ誌読んでいるときでさえ床をのた打ち回って笑いを堪えるのに必死だっつーのに、映画館で笑い死ねるかっての。まず、あのクサいセリフの数々を生で聴くのに耐えられないという己のヘタレっぷりが憎い。加えて、次々沸いてくるツッコミを口走らずにいられない我が悪癖も憎い。
この傾向はたぶん、ず〜っと子どもの頃から、きょうだいとも友だちともこのマンガについての話題を共有せず(正確には、共有できず)、半ば自己完結的に読んできたせいかもしれない。中学二年のとき、何がきっかけだったかもう忘れたが、隣のクラスのとある女の子が王家のファンだとわかり、休み時間とかにふたりで延々と王家話をしていたら、それを見たらしい友だち数人から「あの子とあんたが話が合うなんて意外〜」とからかわれたことがあった。それはたぶんあの時期特有の牽制か警告の意味だったんだろうと、今になると思う。王家は確かに周囲でも一定数には読まれてはいたが、やはりマイナーの部類に入るマンガだった。皆はもっとライトな学園ものとか、スポ根恋愛物のほうを好んでいたので。わたしはますます王家のことは口にしなくなり、もちっと気軽なマンガの話題にそ知らぬ顔で加わり、そうしてまたクラス替えの季節が巡ってきて、隣のクラスの彼女ともなんとなく離れてしまった。「これ買っちゃったの〜」と彼女が嬉しそうに見せてくれたラピスラズリの薄片が嵌めこまれた金色のペンダントのことを、今でも酸っぱい気持ちとともに思い出す。彼女は熱烈なメンフィスファンだった。
そういうわけで、長年一人で薄暗く読んでいるうちに、「王家」はわたしのなかの秘密の(といっても、ここでだらだら書いているんだから、もう秘密でもなんでもないわけだが)部分になっていて、それを白日の元で目の当たりにしたから照れちゃったのかもしれない。個人的に大好きで崇拝しているマンガは「王家の紋章」以外にちゃんとある。だが、「王家の紋章」はそれとはまた別の地平で、わたしのウイヤツなのだな。

閑話休題。
さて、番組の流れは、最初に簡単な粗筋やキャラクター紹介の間に、今回の「王家の紋章」の魅力の語り手である映像作家の大宮エリーさんのコメントがちょこっと挟まれ、司会二人とゲストの間で交わされたおしゃべりが少々あって前半終了。正味20分くらいだったと思う。赤じゅうたんの上にずらっと並べられた51冊の単行本表紙&プリンセス3月号カラー表紙を見せられると、物量的に圧倒される。
私はひとさまがいかにして王家と出会ったか話とか、あの世界のどこが気に入っているのかなどの語りを聞くのはわりと好きだ。なので、ゲストの女性タレントさん曰く、思春期特有の切ない初恋気分をもう一度味わえるとか、お姫さま気分に浸れるとかの推薦コメントは楽しく拝聴しておいた(まぁ、私はメンフィスになりたかった女の子だったのだけどね。笑)

いちおう未読者向け?のマンガレビュー番組らしいので、私としては「濃さ」が物足りなかったかなというかんじ。40巻以降〜現在連載ぶんの毀誉褒貶にを含めて全部リポートしろとは言わないが、そこはかとなく粗筋をアレンジしているのはミスリードのつもりなのか、単なる手抜きなのがとても気になった。
キャロルがルカを庇う5巻のエピソードを、ヒッタイトとの戦争前に持ってくるのは、決定的にあのシーンの意味を取り違えることになるんじゃないか?このひとのために家族も故郷も捨てようと決意させた当の相手の価値観が、自分にはどうしても受け容れ難い部分があることがわかり、それでも ヒロインは、二人はどういう行動をとったかというのが大きな見せ場で感動を呼ぶ場面なのだから、勝手な継ぎはぎは5巻ラブ者としてイヤン。イズミル王子にしたって、いくら最近の連載では王子の記憶から華麗に抜け落ちているからといっても、初登場時の彼は失踪した妹を探しにエジプトにやってきたという背景をパスされ「彼はナイル娘キャロルを我が物とし、いずれエジプトをも支配しようと狙っていたのでした」なんてナレーション流されたら、さすがにそれは違うだろうと言いたくなる。それでいて「イズミル王子はキャロルに報われない愛を捧げ続けるひたむきな男として描かれています」なんて解説されても、ハァ?いま何と?である。こんなとこで姫誌コピーを聴くとは!
悪いが、王子サマが捧げていらっしゃる「ひたむきな愛」とやらは、私にとってだたのネタである。
笑いと萎えしか呼び起こさない。

わたしがどんなに自己暗示をかけても王子に関するこの愛の定義がインプットされない体質だから、それが最近の連載を読んでいて置いてけぼりを食らう気がする理由なのだ。それに、アイシスがほとんど紹介されないのもビミョーに不満だわ。

それはさておき、推薦人の大宮エリーさん*1のコメントが興味深かった。王家のスピーディな展開を支えているのは個性を強烈に際立たせた人物設定だと大宮さんはいう。そして、沢山出てくるキャラクターの性格も、ひとりの内面の複雑さを追求するよりは、それぞれがある意味潔いといえるほど端的に表現されているから、そのキャラの組み合わせの妙が面白く、今読んでも新しさを感じる、と。
そだな。シンプルイズベストともいうし、基本がしっかりがあればこそ読者がその上に肉付けしていける懐深さも持っているんだろう。神話以来、人間が愛し夢を託した物語には一定のトーンがあるはずだし。逆に言うと、そういう王家のあまりにもすぱっと割り切れてしまう(もちろん、複雑さもちゃんと描かれているが)キャラクター群が、私は微妙にキモチワルイと感じることが多々あるのだが、その居心地悪さは単に作者のキャラクターに関する好みとわたしの趣味とがズレているだけで、物語としての魅力は失われていないと思う。ただ、いくらキャラクターの性格の核がしっかりしていても、長い物語においては時の流れを読み込んで性格も大なり小なり変化していってほしい、と願ってしまうのが人のさがなの。
「人間を良いか悪いかで分けるなんて馬鹿げている。人間は面白いか、退屈かのどちらかだ」*2
ひょっとして、そう思った誰かが、メンフィスのパネルと並ぶくらいの大きさの、蠍男ズアトのカットを掲げたのかな…なんて勘ぐってみたさ(笑)

*1:([http://www.umidenohanashi.com/:title=映画「海でのはなし。」]の監督)

*2:オスカー・ワイルド