豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

 彼は昔の彼ならずとはいえ

どうも就寝中に肩甲骨下をおかしな具合に捻ったらしく肩が凝ってたまらない。体中に違和感が残るので今夜の「300」試写会は諦めて早々に帰ってきた。当たり前だが、よみうりホールは全席指定じゃないのだ。それに椅子も狭いしね(文句言える筋合いじゃないけれども)。今週末にはもう先行公開開始の映画館もあるし、もっと静かになってからでいいや。読みたい本もたまっていることだし。


銀色の愛ふたたび25日に発売になった「銀色の恋人」の続編「銀色の愛ふたたび」を読んでいるんだが、というか日曜に一気読みはしたのだが正直軽いショックを受けてしまい、目下ペンを片手に鋭意再読中である(笑)筋立てが二重三重に捻りがあって、わかったと思ったらまたあれ?と疑問が沸いてしまう。前編は近未来世界とはいっても筋はシンプルな青春ラブロマンスだったが、この続編は……むしろファンタジーなのか?楽園追放のイメージとか、死とは何か、人間と神を隔てるものとは何かとか、リーのファンタジー作品におなじみのテーマが沢山出てきているような気がするんだけど。今度の語り手は、ジェーンの手記を読んで夢中になった少女ローレンである。まさに<わたしたち>のために差し出された物語というに相応しい。そもそもこれは2005年に出版されたものなのだそうだ。ワタシは何となくずっと日本語訳が出てなかっただけかと思っていたのだが、そうではなくて前作より24年経って書かれたのがこの続編だということだ。
巻末に小説家のひかわ玲子さんが解説を寄せられていて、そのなかに「この続編が、すぐに公開されていたら発表当時のナイーヴな十代の女性ファンは暴動を起したかもしれない」というコメントがあって、思わずくすっと笑ってしまった。確かに、14のワタシだったらこの続編を壁に叩きつけていただろうと思う。いやそれより裏の畑のドラム缶にぶち込んで燃やしてたな。ワタシは愛らしい人形よりも凶暴な顔のコテツ(じゃ○んこチエに出てくる…ネコ?)を抱いて寝るような子だったれども。。。。だがしかし、歳をとるというのはありがたいもので、12年を経て蘇った(蘇るのですよ!彼が!)“ニュー・シルヴァー”の冷めた語りにもナルホドそうやって攻めるかと冷静に納得できてしまうのだった。さすがにあの再会シーンには思わず胸が震えましたがね(さすが闇の公子の母なる方。素晴らしくアイロニカルな仕掛でしたこと!)。彼が何を言おうと、どのように変わったとしてもわたしは失望などしない。なぜって14のワタシを解放してくれた「銀色の恋人」と、創造者を超越したヴァーリスは全くの別存在なのだから。違うということは、認めないという意味ではない。ワタシの心を支えた物語りが以前にまして、はっきり見えるようになったにすぎない。シルヴァーの声はいつでも私の耳元で聞こえる(はず)。

“怖くはありません。
 あなたは自分にプログラムしているんです。怖がりながら物事をしていくように。
 けれどももう怖くはありません。”


かくして、今夜も「愛とは、魂とは何ぞや」と不毛なテーマについて考え続けて眠れない。。。。