豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

ハトちゃんお目覚め 続

先週、世界を駆け巡った「ハトシェプスト女王のミイラが特定された」ニュース(参照)。ネットニュースではそのミイラの全身写真とかも出ていて、ひぃぃぃとか震えながら見たのだが、そのうち、このミイラってどこにあったのだろうという疑問が沸く。ザヒ・ハワス博士の公式サイトにあるレポート(参照)によると、ハトシェプスト女王のミイラではと考えられた候補は六体あったらしい。その他、調査内容についての解説は、ナショナル・ジオグラフィックのサイトにあるニュースも参考になる(参照)。

  • ハトシェプスト女王のミイラではと考えられた候補は

【アメンホテプ二世の墓(KV35)から出たミイラ二体】

  1. 老婦人のミイラ (推定40代。ティイ王妃のものといわれている)
  2. 若い女性のミイラ (↑の息子、アクエンアテンの妻ネフェルティティ王妃のものではないかといわれている)

【プセンネス二世の墓 (通称ロイヤル・カシュと呼ばれる。BD320)から出たミイラ二体】

  1. 女性のミイラ (ラムセス二世の娘にして妻 メリトアメンのものといわれる。死に際して異常な苦痛を味わったと思われる節あり)
  2. 老婦人のミイラ (セケルエンラー・タァ一世の妻、ティティシェリ王妃のものといわれている。ハトシェプスト女王の玄祖母にあたるひと)

【ハトシェプスト女王の乳母の墓とされるKV60から出たミイラ二体】

  1. 小柄な女性のミイラ (「王家の乳母」と彫られた柩に入っていた)――A
  2. 太った女性のミイラ (隣でみつかった)――B


結局、ロイヤル・カシュから出たハトシェプト女王の名前がある箱に入っていた臼歯と一致する痕を持つミイラがBだけだったということらしい。補強証拠としてDNA鑑定もしたようだ。ハトシェプスト女王と夫のトトメス二世は姉弟婚カップルだったが、家系図でたどってゆくと、女王の両親も祖父母も曽祖父母もみ〜んな近親婚(きょうだい同士)と知ってワタシは圧倒されてしまった。女王の甥っ子であり義理の息子でもある(夫が側室に産ませた)トトメス三世との確執は有名な話だが、四代続いた純血の王女という血筋を考えると女王の並々ならぬプライドも無理はないなぁというか。古代エジプトうんちく図鑑今回もお世話になった芝崎みゆきさんの古代エジプトうんちく図鑑」はまことに頼りになる本で、ちまちまといろんな情報が書き込まれてある。例えば、ハトシェプスト女王は長らく男王と思われていたのだが、このファラオが女性だと喝破したのはシャンポリオンだったとか。

KV60号墓は1903年にハワード・カーターが発見した小さな墓らしい。ここがハトシェプスト女王の墓であるKV20に近く、出土した柩にハトシェプスト女王の乳母の名前があることから、小柄なほう(A)は乳母Sitre−Inのミイラ、太ったほう(B)はハトシェプスト女王のミイラではないかといわれていたそうだ。1903年にハワード・カーターが発掘したKV60号墓は、1906年にエドワード・エアトンによって再び調査されたが、その後ドナルド・ライアンが清掃する1989年までずっと放置されていた。Aのミイラは(おそらくエアトンの手によって)カイロ博物館に収められたが、BのミイラはそのままKV60内に残された(ドナルド・ライアンが彼女を木製の柩に納め直して安置したという)。今回の調査にあたり、保護の意味もあってやっとカイロ博物館にこのBのミイラが運び込まれたとか。
ワタシはなんとなくハトシェプストのミイラはカイロ博物館のどこかにあったのだろうとばかり思っていたので、トゥトアンクアメン王のように王家の谷で寝ていた(?)と知ってへぇぇ〜と驚いてしまった。ハワス博士のレポートによると、ミイラの左手が拳を握って胸元に置かれているのは女性王族の印らしく(王ならトゥトアンクアメン王のように両腕を胸の前で交差する形になる。)Bのミイラもそうだった。このミイラを見たとき、この顔つきは王族のものだ直感したとか書かれてあるのもフムフムだった。やはり崩れても枯れても壊れても、王さまの顔つきというものは庶民とは違うものなのかもしれない。彫像だと下膨れの丸顔美人さんってかんじだが、本物はどんな顔だったんだろう?なにはともあれ、初めてのミイラDNA鑑定もおこなわれたことだし、テレビ特番が楽しみ。