豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

 R・サトクリフ「血と砂―愛と死のアラビア」

血と砂 上―愛と死のアラビア (1)血と砂 下―愛と死のアラビア (3)上巻の表紙だけみて“アラビアのロレンス”(参照)の話かな?と思って読み始めたのだが、ハズレ。この物語の主人公トマスはロレンスより100年も前に生まれたスコットランド人だった。トマスはイギリス陸軍に志願して従軍、エジプトで捕虜となる。その後イスラム教に改宗してエジプトの太守ムハンマド・アリーに仕え大いに活躍。アリーの次男トゥスンとは兄弟の契りを結ぶ。ついにはメディナの総督にも任じられた。事実は小説より奇なり、を地でゆく波乱万丈の物語だった。「アラブ人はそれを愛と呼び、私たちはそれを友情とよぶ」とかいう、ある意味濃ぃぃ男同士の絆が味わえる。私はムハンマド・アリーの肖像画を見てファンになった女だが(ハンサムなのよ!⇒参照)、この物語ではほとんど出てこない。小悪魔を通り超して邪悪なアリーの娘ナイアお嬢様とか、そうそうこういう王妃さまを見たいのよねのアリー夫人とか、トマスの妻になる娘の不思議な魅力とか、女に厳しいワタシ的にも満足いく美女たちが登場するのもよろし。スコットランドを飛び出してしまったトマスのまとう独特の寄る辺なさが、あの熱く乾いた砂漠世界で独特の通奏低音となっていて、彼が故郷の歌を妻に手ほどきして口ずさむシーンなど、なんともいえずよかった。
ただ、これはサトクリフが大人向けに書いた小説らしいので、当時の中近東世界の勢力図理解もさることながら、主人公が背負うスコットランドの苦難の歴史とか宗教的な背景を知らないと、正直よくわからない点も多かった(ジャコバイトってなにそれ?とか⇒参照)。スコットランド人と言えば一時期某怪人さんにハマっていたことがあり、いつか彼の故郷に行きたいなとスコットランド史も少しはナナメ読みしたが、やっぱり怪人さん萌えぇぇだけでは身についていないのは明白。そこで現在刊行中の「興亡の世界史シリーズ」から「大英帝国という経験」(井野瀬久美恵)を併読してみたところ、ちょうどよい参考書になった。外国人の私には、アイルランドもスコットランドもイングランドも、まあそれぞれ紛争の歴史はあれど、国民の気質とかは似たようなお国柄なんじゃないかと漠然と思ってしまうのだけれど、その点はこの本を読んで大いに改められた。
大英帝国という経験


まぁ、それはさておき、純粋に物語のなかで私がはっとしたのはこのシーンである。主人公トマスは射撃の腕と流暢なフランス語を買われて、一介の捕虜からトルコ人将軍の保護下に置かれる身となるが、その後、ムハンマド・アリー軍の訓練に参加するためナイル河を遡上する。彼がアラビア世界に入ってゆく最初のシーンだ。
少し長いが、とても臨場感があるのでそのまま引用してみよう。


次の一日、彼らはやすむことなく川をさかのぼっていった。船の三角帆は北風をたっぷり含んで、さながら飛んでいるカモメが半分翼を広げたようにみえる。乗組員たちは、たいてい、くつろげるうちにできるだけくつろいでおこうという心づもりらしく、船べりの細い影の中にごろりと横になり、半分眠りながら、ときどき老いた犬のように手足をぴくぴくと動かしている。これに対してトマスはというと、見るもの聞くものがすべて目新しく、めずらしく、とても目を閉じるどころではなかった。トマスは船室の屋根でもある甲板の上に、好意から船長が貸してくれたマットをしき、その上にあぐらをかいて、大きな川のほとりの人々のなりわいが移ろっていくのを見つめた。こうして周囲のものと音によって目と心をいっぱいに満たしておけば、その他もろもろのわずらいを忘れていることができる。見るべきものはたくさんあった。まずはナイル川を行き来する船。逆に川を下ってくる船は、帆を巻き、乗組員がけんめいに櫂を動かしているが、そのような船からは、悲しげに高まっては沈む舟歌の、ゆっくりとしたメロディーが水上を伝わってくる。左右どちらを見ても、土手は高く、のっぺりした砂ばかりで、川の水かさがあがってくるのを待っている。洪水は次の年の命を運んでくるのだが――船長がほとんど身ぶり手ぶりで説明してくれた説明を、トマスが正しく理解したとして――いまはもう、それがいつ始まってもおかしくない時期にさしかかっているらしい。人びとのなりわいが、巻物の絵のように、岸辺に沿ってどんどん展開していく。ナツメヤシの農園がある。しばらく行くと村があり、洪水のときは水につからないよう、そまつな泥壁の家がわずかに高くなった傾斜地に並んでいる。村には鳩小屋と、細くて白い光塔があった。礼拝の時間になると、この光塔から祈祷告知係の声が水上まで流れてくる。すると乗組員たちは身を起こし、メッカのほうを向いて礼拝する。それがすむと彼らはまた、仕事なり眠りなりに戻っていくのだった。ときには一本の糸のように連なったらくだの一群が見えた。砂漠を背景に、砂漠色をしている。そんなとき水の上をつたわってくるのは、ラクダにつけた鐘をたたく音だ。土手が沈み込み、丈の高い葦の原が、風にゆさゆさ揺れているところもあった。ときどき野ガモが頭上を飛んでいった。たまには、足の長いツルが浅瀬を歩いているのを見ることもあった。そして、東の土手のはるか向こうにいつも必ず見えているのが、連綿として途切れることのない山々の姿だった。山肌は早朝のうちは青々としていて裂け目だらけだが、日が闌けてくるとライオンのような薄い褐色に変わってくる。あの長く連なった山々はまるで世界の果てを仕切っているようにみえるけれど、あの向こうにはいったい何があるのだろうと、トマスは思うのだった。また西のほうに目をやれば、土手の向こうには何もなく、ただ漠々として空が広がっているばかりだ。砂漠があるのだろうと思ったが、こちら側があまりに低いので、水に浮かんだままだと何も見ることはできない。
「もしもこの川のほとりにずっと住んだら」とトマスは思った。
「世界はオレンジのように丸いのではなく、剣の刃みたいな形なんだと思うようになるんだろうな。横幅は西側のあのナツメヤシの林から、東のあの山々までしかないが、北と南の方角にはどこまでも延びている世界なのだ、と」
 とつぜん、水の上をわたる微風になでられたかのように、トマスは微かに身ぶるいした。それこそが自分の運命なのだという思いが、ふいに心をよぎったからだ。
 トマスは肩をぶるっとふるわせた。
【「血と砂」(上)34ページより】

この後、古代エジプトの遺跡の傍らで、キリスト教徒であった彼は「一なるとき」を体験し、イスラム教に帰依することを決意する。そして彼は運命を粛々と受け容れ、短い生涯を駆け抜けて生きた。
それにしても、多神教より一神教のほうが高尚だとかいう論はどのへんからくるんだろう。