豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

「ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ」

旧岩崎邸庭園参照)の洋館は来月3月まで外装修復中のためシートに覆われてその美しい外観は見ることができないが、内部は通常通り見学できる。これが4度目の来館にもかかわらず、ンまぁ権力と富が集積するとこれなのよねぇ〜と呆然気味の私はサンルームに展示されていた家族集合写真に目を留めた。この館を建てた三菱財閥の三代目、岩崎久彌を中心に家族がまさにこのサンルームで集ったところを映した写真で、なかの何人かには名前の説明がつけてある。そのなかに「美喜」という和装の女性がいた。私はその名前に覚えがあった。久彌氏の長女だ。束髪に和服姿の上品そうな細面の女性がやや固い表情でこちらを見返している。
私はそのとき、ああこれが「ママちゃま」こと、澤田美喜さんの若き日の肖像なのだなと、先日読んだばかりの本の登場人物に出合ったことに少し驚く。

澤田美喜(さわだ みき、1901年9月19日 - 1980年5月12日)は、東京都文京区出身の社会事業家。三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の孫娘として生まれ、外交官の沢田廉三と結婚。4人の子に恵まれる。敗戦後、エリザベス・サンダースホームを創設し、2000人近くの混血孤児を育て上げた。【ウィキペディア】の説明文(参照)より


ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ (講談社文庫)

ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ (講談社文庫)

読後、言葉もない。これはそういう本だ。
澤田美喜さんの創設したエリザベス・サンダースホームで育ち、アメリカへ渡ったひとりの少年の短くも鮮やかな生の軌跡。
彼が生母と別れる直前、連れて行かれた公園の名を見て私は涙が出た。彼の人生が遠い彼方の国の、時代の話ではなく急に彼や彼の母の哀しみが身近に迫ってきたせいかもしれない。
だが、私の涙も同情も悲憤も、彼のこの控えめな微笑の前にはすべて無意味なものと化すだろう。
泣きたいからと安易に手にとってもらいたくはないが、多くの人に読んで欲しい1冊。