豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

躍動と情念と

去年までアルゼンチンタンゴを習っていたマアト(仮)ちゃんと会った。
「最近タンゴのほうはどーなのよ?」と訊いてみると、あっさり「やめた」とのお答え。
講師の先生カップルが男女関係のもつれで喧嘩別れしたとかで、レッスンスケジュールはガタガタ、生徒は激減、マアト(仮)ちゃんもほとほと嫌気がさしたらしい。
「でね、今はアフリカンダンス習ってるの」ときた。
「ア……アフリカンダンスぅ???」
アフリカンダンスてアンタ。私の頭の中ではなぜか象が踊っていた。どんなんだそれ。
「そ。先生は黄金海岸出身なの。汗かいて楽しいよ。タンゴと違って一人で踊れるしね(笑)」
「もしや太鼓叩いて踊るのでしょーか?」
「いや、太鼓は別のひとが叩くから」
観に行ってもいい〜?と申し出てみたが、「恥ずかしいからヤダ」とあっさり却下された。


だからというわけでもないけれど、ちょっと気になる公演が目に留まったので、エジプト大使館にメールしてチケットを取ったりして。

 交流公演<知り合う、学びあう>
「エジプト国立アスワン民俗芸能団と津軽三味線の交流公演」
 第4回アフリカ開発会議横浜開催関連プログラムとして


情報入手先は、個人旅行専門会社ナイルストーリーさん発行のメルマガ「エジプト通信」(参照)より。
当日はえらい蒸し暑かったが、前日から上司を泣き落とし(大嘘)、とっとと仕事を片付けて某平日夜6:30〜代々木へGoしてきた。代々木参宮橋で降りたはいいが、会場(国立オリンピック記念青少年センター)までがやたら遠く、猛ダッシュをかけたかいあって開演時間に少し遅れて無事到着。

扉を開けると、そこには異郷の音楽があふれていた。。。。。


エジプト・アラブ共和国文化省所属国立アスワン民族芸能団」とは

ピラミッドや壮麗な神殿にみるエジプト文明は、ナイル川がもたらした豊かな農耕文化が基礎にあります。全ての原点はナイル川にあり、多くの神殿には荘園があり、そこでは人々が田畑を耕し、家畜を養う生活の営みがありました。当時の様子はルクソール、ヌビア地方の古代神殿等の壁画や墓地に描かれています。祭りの中で人々は収穫を祝い、音楽を奏で、手を叩き、足を打ち、歌い踊る姿は今でも多くの民俗芸能・祭事に受け継がれています。農民にとって儀式・祭事・芸能を行うことは、自然の猛威や病気などの悪霊を払い、五穀豊穣を祈る生命の糧として神々と人々を結ぶ手段でした。今日のヌビアの村々にはこの習慣が引き継がれ、儀式や祈りの表現に欠かせないドゥッフ(薄いドラム)と手拍子の伴奏で、儀式の民謡を唄うことが基本になっています。ヌビア地方の芸能は他の地域の時代の流れと共に変化した芸能とは異なり、初期エジプト音楽がそのまま残っていると云われています。
エジプトの民俗芸能分布は大きく分けてデルタ地帯、中核となるナイル川中流域(上エジプト地方)そしてアスワンからスーダン国境に及びヌビア地方に分かれます。
1960年代初頭に第二アスワンダム(アスワンハイダム)が作られ世界最大の人造湖ナセル湖が出現し、祖先伝来何千年と引き継がれてきたヌビア文明を一気に水面下に飲み込みました。十万人以上の人々が何百年と住んでいたヌビアの村々から、スーダン側とエジプト側への移住を余儀なくされ、ヌビア人の文化様式は一時絶滅の危機を迎えました。しかし、先祖との連帯を大切にする人々の努力によりこの危機をバネに結束。言語・祭事・風俗・習慣・芸能のヌビア人伝統文化を保持・継承するために作られたのがアスワン文化センターです。
今日来日したアスワン民族芸能団は、このアスワン文化センター所属の歌舞団であり、舞踊を中心にしてアスワンを訪れる観光客にヌビア文化を紹介しています。

(パンフレットより)


マイク握った男性の歌声に合わせ、ドラム(ダラブッカ)奏者、ドゥッフ奏者が各一人ずつ伴奏。踊り手は男性が6人程度、女性が4人で構成されていた。基本的に群舞らしく、どこか大らかで悠々としたステップダンス。踊りながら皆の手拍子と合唱が入り、女性が「ラララララ」と舌を鳴らしつつ甲高い声で鳥のような不思議な合いの手を入れる。結婚式などで披露されるお祝いの歌が多かったかな。花嫁さんを着飾らせてゆく寸劇のようなパフォーマンスが入った歌もあったりして、結婚式はさぞ大イベントなんだろうなぁと思ってしまった。
音階がまた私には全然馴染みのないもので、なんとも説明のしようがない(ていうか無理)。男性歌手の歌にも、ちょいとコブシが入っていそうなあたりが演歌調ではあるのだが、音階の高低差があまりないのだ。かといって、巷のカレー屋でかかっている歌ともまた違うような気がする。うーむ。こんな説明しかできなくて申し訳ない。
司会者のコメントによると、彼ら歌舞団は、普段はナイルクルーズ船内やアスワンのカタラクトホテルあたりで主に観光客向けに踊っているそうである。
言うまでもなく「初期エジプト音楽がそのまま残っている」というフレーズに興趣を覚えて観に行った私であるが、じゃあ古代エジプトの音楽やダンスにどんなイメージを持っていたのかというと甚だ心もとない。ひょっとすると、ハリウッド映画風に勝手に捏造されていた疑いが強い。古代エジプト語はコプト語にその痕跡を残しているそうだが、音楽となるともっと変貌してしまっているのかもしれないし。

公演中盤、おもわぬ客演があった。

現在、カイロでプロのベリーダンサーとして活躍されている日本人女性が出演し、ダラブッカ奏者のヌビアリズムに合わせて即興で踊ってくれたのだ。なんでもベリーダンスにヌビア風リズム(“ヌービイ”と彼女は言っていたが)を使うことはほとんどないそうだ。それは、彼らの音楽は群舞であり、合唱と手拍子が外せないため、ベリーダンスには取り入れにくいからということだった。司会者の言によると、彼女は政府発行の正式な許可証を持つベリーダンサーで、現地では五本の指に入るといわれるほど優れた踊り手だそうである。私は去年、都内で日本人女性が踊るベリーダンスを一度見ただけだが、失礼ながら、あの方とは貫禄とオーラが格段に違うということは私にも判った。セクシーだけではない。それ以上に、ひょっとしたら太古の地母神への畏怖とは、こういう踊りを見たときに感じるものなのかもしれない。陶然となった。


もちろん、初めて聴く生の津軽三味線だって、そりゃあ素晴らしかった。
ヌビアンダンスと津軽三味線が交互に演奏したのだが、「太陽の国のあのような情熱的なダンスの後では、いささか地味ではありますが…」と恥ずかしそうにコメントしてから弾きだされた演奏も、いやいやなかなかどうして情熱的ではありませんか。三味線を「弾く」ことを、「たたく」ともいうらしい。そして、基本フレーズは同じでも、奏者によってまったく奏風というか、音色が違うのだ。若い男性は大胆、華奢な若い女性奏者は情念の音色。ああ、絶対、また三味線聴きに行こう。


最後は観客も舞台に上げ、三味線もバックにして、会場大盛り上がりの輪ダンスで〆。