豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

 きみがぼくを見つけた日


やっぱりと言われるだろうけど、タイムトラベルの絡んだラブストーリはけっこう好きだ。捕らえようのない「時」が相手だなんて、これ以上ロマンチックな障害があるだろうか。
そんなわけで、タイムトラべルものらしいと聴きつけて「きみがぼくを見つけた日」(原題:The Time Traveler's wife)を観てきた。
主演はエリック・バナレイチェル・マクアダムス
両方とも、最近わりと贔屓にしている俳優さんである。同じくオーストラリア出身のハリウッドスターでヒュー・ジャックマンエリック・バナどっちが好きかといわれたら、今はエリック・バナのほうが好き(ちょい暗めなあたり)。レイチェルは小生意気な役が結構似合う女優さんだったが、今が一番綺麗なんじゃないかと思う。18歳場面が違和感なくできちゃうところもすごいけど。
ストーリーは予告編を見ればだいたいわかってしまう通り、男のほうががタイムトラベラー体質なんである。例えるならまるで貧血か立ちくらみでも起こすようにふっと時空を超えてしまう。特に両親からの遺伝というわけでもなく、酒を飲みすぎると飛びやすい程度は経験上わかっているが、本人にはそれを止めようがない、困った「癖」。それにタイムトラベルといっても、彼の旅する範囲はごく限られていて、間違ってもツタンカーメンやコロンブスに会ったりはしない。場所も生まれ育ったシカゴ近辺から出ないし、時代もせいぜい若い頃の両親を見かけたり、未来に行って娘に会うくらい。
このこぢんまりしたトラベル設定が、なかなか良い。そして、もうひとつ、旅するには「肉体」しか連れていけないという設定が面白い。なにせ彼は「飛ぶ」たびに、行く先がどこだろうが、まず自分はマッパという事態をどうにか解決せねばならないという苦労を負わされるんである。しみじみタイムトラベルもロマンチックばかりぢゃないなあと苦笑いしてしまった。
タイムトラベラーは一見「時」の束縛から自由な人間ように思えるが、この映画は、逆に、「時」は決められた運命へ流れ込む圧倒的な流れで、変えようがないということを何度も見せ付ける。
男は、ある日あなたとずっと会える日を待ち望んでいたという女性とめぐり会って恋に落ち、タイムトラベルできるという秘密も、まぁ特殊な体質だよねくらいに一部の周囲には一定の理解を得て淡々と日常が続く。
見ている間、ずっと底になんともいえない悲しみを感じた。恋人たちの幸せなシーンは沢山あるのだが、どこか一寸先は闇のような、今この瞬間はもう取り返しがつかないとでもいうような言いようのない喪失感を忘れさせてくれなかった。
冒頭、初めて「飛んだ」時、男は母親を亡くしたことが描かれる。以来、どうやっても彼はその運命は変えられなかった。彼は時折若き頃の幸せな母親と出合って、通りすがりの見知らぬ人として言葉を交わす。母親は目の前のゆきずりの青年が、やんちゃな我が息子の成長した姿だとはつゆ知らず、そして自分に待ち受ける運命など全くしらず、幸せそうに彼とおしゃべりをするのだ。切ない。
でも後味は悪くない映画だ。
ラストシーンで、タイムトラベラーの妻は必死に草原を駆ける。
彼が決してそう願わなくても、彼女は待ち続ける。
彼の特異な能力は彼女に多くの苦しみを与えたとしても、結果的に素晴らしい贈り物をしたとはいえないだろうか。
なぜって、幽霊ではない、本物の彼に会うことができるのだ。生きている限り、いつか。
生身の彼と言葉を交わし、確かな肉体に触れることすらできるのだ。同じ時空で。
羨ましくて涙が出るじゃないか。