豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

 幾山河越え去りゆかば


今日も携帯を開いてため息をつく。
ずらりと表示された彼女からの着信履歴は10件を超えている。簡易留守録も既にパンク。
これでは仕事も家族からの緊急連絡があっても、ものの役に立たない。
胸の奥に鉛を沈められたような気分だ。
メッセージを再生してみても、内容は…いつもと同じ。
寂しい。寂しい。カナシイ。0時に電話して。そしてあのクスリで死ねるよね?という幼い声の問いかけ。
私は怒りを込めて反射的に消去ボタンを押した。
これでしばらくは平穏。
だがそれもおそらく数時間のことだろう。


どうしてこんなことになってしまったのか、自問自答してみるが、胸苦しさが増すだけで、砂を噛む様な索漠とした気分は抜けない。
「自分で責任を負えないと思ったら、最初から関わらないこと。その人の家族に言うか、直接言うかして手を引きなさい。あなたまで欝に取り込まれるよ」
相談した人は尽くそう言う。
人の心がどれほど深いか、私は全く想像が及んでいなかったのだ。
(生来、能天気なせいかもしれない)

私自身も最初はここまでの事態になるとは思っていなかった。
以前はまだ普通の会話が出来ていたので、まさかという油断があったのだろうと思う。
彼女は、昔のバイト先で知り合ったお客さんである。彼女の背景も、年齢もほとんど知らない。退職時にわざわざ挨拶に来てくれ、お手紙を書きたいのだけど、住所教えてくれませんかと言われ、必死さがなんだかいじらしくて、文通くらいなら…と軽く書いて渡したのだ。そして携帯電話の連絡先もつい成り行きで教えてしまった(メルアドはメールは面倒なのでと教えなかった)。危機管理能力がないと叱られる所以である。

頻繁な電話がひどくなったのはここ2ヶ月の話で、発端は、久しぶりにかかってきた彼女からの電話に、ふと、出てしまって話を聞いたことに始まる。
直前にもらっていた彼女の手紙があまりにも鬱々とした内容だったので、気になっていたのかもしれない。
その時から私への、執着というか、依存がひどくなってきた。
私が仕事をしていることは知っているはずなのに、朝となく、昼となく、夜となく電話をかけてくる。メッセージを残す。先日は寝入りばなの午前1時頃、電話を鳴らされ、その頃ひどく仕事が立て込んで疲れていたので出なかったが、翌朝メッセージがずらりと残されているのを目にして寒気を覚えたのは風邪のせいばかりではなかったはずだ。

さすがに手に余ると思い始めたので、周囲にも相談してみると、皆が一様に驚き呆れてなんでそんなのにあなたがつきあう義理があるのか、さっさと着信拒否にしろ、電話番号変えろと言う。

それでも私は正直まだ迷っていた。
ここで手を離していいのか?
そんなに寂しいなら電話しておいでと無責任に慰めた手前、ここで逃げては申し訳ないと思う気持ちが私を躊躇わせていた。脳裏には遠くへ行ってしまった親友の顔がちらつく。


しかし、とうとう私は昨日彼女に決別の手紙を書いた。
彼女の家に電話し、彼女の母親に今までの事情を話して、もう私の手には余ると伝えた。
(彼女の母親も恐縮していたが、あなたから直接言って欲しいと言外に匂わされた。)
電話も着信拒否設定をした。
今も相変わらずずらりと着信履歴が残るが、着信音にいちいち反応しなくてよくなり、簡易留守電がパンクしなくなっただけでも格段に心の平穏は取り戻せた気がする。
近々電話番号も(メルアドも)変え、郵便物も読まないようにしよう。
彼女は事情があって私の家にまで来ることはできないので、その点は気が楽だ。

私は自分のことを大した人間と思ったことは一度もないけれど、人間の心というものは、いや私の心はかくもストレスに弱いのだなあと、今回つくづく思い知った。

エル・ライジア
あなたの言うとおり、世界は泣き喚く竜の仔で一杯だ。

私はあなたと違ってそれを無視できないほど強くも優しくもない人間で、もし、私にもう一本腕があり、もうひとつ荷物がなければ、もしかしたら何か力になれたかもしれない。そんなふうに思ってしまうことこそ、大いなる思い上がりだったのだろう。結局私は彼女をもっと絶望させ悲しませただけだったのだから。

私はどうしてもわからない。
寂しさというものは、結局のところ、自分で抱きしめるしかないのじゃないか。
寂しさでさえ、心を暖めてくれることがある。
生きていくうえで、糧となることもある。
そう伝えたかったのだが、彼女の心には届かなかったらしい。
逆に、叫んでも叫んでも声が吸い込まれていくような、恐るべき無音の世界に取り込まれている気がして、私は逃げ出した。
何より、私がやめて欲しいと言い続けたにもかかわらず、注目されたいのか死を弄ぶような彼女の言動は許しがたかった。
「○○さん(彼女が好きなアーティスト)の前でクスリを飲んで美しく死にたいの」
その一言を聞いたとき、私のなかで何かがプツンと音を立てて切れた。
そんなもののどこが美しいのか。吐き気がした。

さよなら。
どうぞ私を忘れてください。