豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

 受取拒否 その後

携帯電話番号とアドレスを変更してからほぼひと月。
例の彼女からは、以前のように一日に5通手紙がくるということはなくなったが、それでも1週間に一度程度は手紙が届く。
手紙に「受取拒否」と朱書して投函し続けていたところ、ある週末、郵便配達人が我が家を尋ねてきた。
手には私が投函した彼女からの手紙の束。そこで私は初めて知ったのだが、「受取拒否」をするには、私の捺印も必要で、配達人氏はわざわざそのための捺印を取りに来てくれたのだった。


以来彼女からの手紙が来るたび、朱書・捺印・投函という事務的な「受取拒否」作業を続けてきた。
今日も帰宅したら葉書が届いていた。

封書の場合は開封せずに送り返すが、葉書はやはり文面が眼に入ってしまう。
最初の頃は、話が通じない彼女に対する怒りというか徒労感が大きく、また、懇願の言葉には幾許かの罪悪感が疼きもしたが、このところは全く何も感じない。

葉書の文面だけでも、やはりというか、私から伝えた決別の言葉を考慮した痕跡は全く伺えず、相変わらず自分の言いたいことだけ延々と書き連ねている。返送された手紙を彼女が受け取っているのかどうか、確認する術はないが、彼女のあまりにも万年一日の言葉の数々を思うだに、これは一種の日記ではなかろうかと思えてきた。例えるならアンネのように、日記のなかの架空の友だちに話しかけているようなスタイルで、日々の愚痴や焦りや不安を吐き出すことでいくらか安心しているのかもしれない。

愚痴を吐き出したい気持ちは、わからないでもない。
私がこういうしょーもないブログをだらだら8年くらい書きつづけてきた理由は、まさにそれだから。なんとなく、日々のもやもやを書くと落ち着くという気がする。加えて、読む人を楽しませようとか、面白いと思ってくれるかどうかまでは、正直なところ考えないようにしている。ひょっとしたらここで誰かを傷つけることを書いているかもしれない、という自覚はあるが、それに責任取れといわれても困る、とも思っている。
だったら彼女と私は同じことをしているじゃないか。
そういうことに、もっと自覚的であるべきなのだ。


私の手はシュレッダーに伸び、彼女の葉書を粉々にしていた。
もうこの先、私は彼女の手紙を送り返すこともしないだろう。
何も残さず、砕かれていくだけ。