豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

よすが

もう11月かぁ…
更新の度、時候の挨拶を書いている気がしますが、お許し下さい。

近所の公園のススキも様になって参りました。
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わたくし、諸々の事情で求職活動は暫時お休みすることにして、現在お気楽プータロー生活を送っています。
満員電車でプレスされていた日々は遠くなりつつあり。
1日の楽しみといえば朝ドラ(BSで「梅ちゃん先生」→「マッサン」)という、定番(?)コースを満喫中。更には海外ミステリ(北欧もの)を何冊か買い込んできたので、馴染のない人名にクラクラしながら緩く読書中。
そしてたまに映画館で沈む日々。
昨日は映画館でアホで下品な西部劇映画「荒野はつらいよ」を観て大爆笑。
(↑「Ted」 の監督の新作です。カメオ出演多すぎて笑。ユアンは全くわからなかった~)


・・・良いんだか悪いんだか。

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先月末、ふらっと一人で帰省してきました。
施設に入っている90過ぎの祖母を見舞い、遅まきながらの親戚弔問、忘れちゃならない墓参り、高齢の親戚バァさま方へのご挨拶そして子育て真っ最中の幼馴染とのおしゃべり等々。
私自身、帰省しても年々実家方面には顔出し出来にくくなっているので、会えたときはここぞとばかりに喋り倒します。
ただ、私にとって、故郷に帰るという行為は、どこか「死」に近づく、という側面が強いようです。
「死」というか「死者」の思い出に強く触れる旅という感じ。
なじみ深い人々は皆高齢化し、鬼籍に入った人も多いので、自然に弔いと慰め、そして亡き人の思い出を語り合うことになるからでしょうか。

今回の帰省では、懸案事項を二つ片付けることができ、ほっとしました。

一つは、親友の墓参りをすること。
もう一つが、亡き祖母の(そして今となっては母の)形見の品を引き取ってくること、でした。


6年前の夏、私が母に同行して訪れた漆器店の老店主は、祖母の形見の文箱を修理に持ち込んだ私たちを覚えていました。
預かり証の控えのコピーを示す私に、老店主が奥からごそごそと持ち出してきたものは、まさに祖母のあの文箱。
剥げた四隅の漆は塗り直され、何しろ戦前の品なので全体的に古びてはいますが、きれいに補修されています。
「念のため同じ品か確かめてみてください」といわれ、私は文箱の蓋を開けて裏返し、そこに祖母が終生誇りにしていた文言が確かに残っているのを目にしました。
漆をかけられて、文字はやや読みにくくなっていましたが、祖母の形見に間違いありません。
老店主は、私の仕草で思い出したのでしょうか、
「そうそう。これをお預かりしたとき、奥さんから蓋の裏のこの文言をできるだけ消さないでくれと頼まれましたよ。いま思い出しました」と感慨深げに言いました。

元々この文箱の修理については、「修理は職人の手の空いた時にするから、少し時間がかかりますよ」と言われていました。
預けた直後、母は病を得、文箱を引き取りに行く時間もなくなり、去年の秋に病が再発して亡くなりました。
店の方でも、忙しさと大量の修理品に埋もれ、預け主に連絡する術もなかったようです。
今年になって、私が母の遺品を整理していた時に預かり証を見つけ、何とか年内に店に問い合わせるか直接引き取りに行かなければ、と思い6年ぶりの訪問となったのでした。

老店主は文箱を手にして言いました。
「そうですか。ではこれは、二重のお形見なんですね」と。

私が持ち帰った祖母の文箱は、古いものですがせいぜい昭和初期、蓋の蒔絵の細工も素朴な田舎風のもので、一般的には全く値打ちのあるものではありません。
ただ、祖母がこの文箱を手に私に語ってくれた自らの幼いころの記憶は、祖母という人を思い出させるものであり、更には彼女を忍ぶよすがであるこの文箱を受け継ぎたいという亡き母の思いも含めて、手元に置いておきたいと思ったのです。
よく帰ってきてくれたね、という気分。


さて、これには何を入れようかしら。