豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

幼い子は微笑む (長田 弘の詩より)

声をあげて、泣くことを覚えた。
泣きつづけて、黙ることを覚えた。
両の掌をしっかりと握りしめ、
まぶたを静かに閉じることも覚えた。
穏やかに眠ることを覚えた。
ふっと目を開けて、人の顔を
じーっと見つめることも覚えた。

そして、幼い子は微笑んだ。
この世で人が最初に覚える
ことばでないことばが、微笑だ。
人をひとたらしめる、古い古い原初のことば。

人がほんとうに幸福でいられるのは、おそらくは
何かを覚えることがただ微笑だけをもたらす、
幼いときの、何一つ覚えてもいない、
ほんのわずかなあいだだけなのだと思う。

立つこと。歩くこと。立ち止まること。
ここからそこへ、一人でゆくこと。
できなかったことが、できるようになること。

何かを覚えることは、何かを得るということだろうか。
違う。覚えることは、覚えて得るものよりも、
もっとずっと、多くのものを失うことだ。

人は、ことばを覚えて、幸福を失う。
そして、覚えたことばと
おなじだけの悲しみを知る者になる。

まだことばを知らないので、幼い子は微笑む。
微笑むことしか知らないので、幼い子は微笑む。
もう微笑むことをしない人たちを見て、
幼い子は微笑む。

なぜ、長じて、人は
質さなくなるのか。たとえ幸福を失っても、
人生はなお微笑するに足るだろうかと。


絵本でも買ってやろうかと立ち寄った書店で、イラストとタイトルに惹かれてこの本を手に取りました。一読してひどく感銘を受けたので、自分用に購入。子ども用は後日で(ごめんね)。
ちょうど我が子がこのくらいの時期だったので、特に印象に残ったのかもしれません。
幼い子の微笑みには、確かに無条件で心を鷲掴みにされるような澄んだ幸福感があります。
悲しみを知らないゆえ、というのもうなづけます。
悲しみを知った者の微笑と、幼子の微笑と、色合いは違えどいずれも幸福なのでありましょう。

私自身は、たとえ幸福を失っても人生はなお微笑するに足る、と信じておりますが。
いや、そう信じたいだけなのかもしれません。