豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

母の日に例のムー二―CMを見て凹む

遅まきですが、話題(炎上中ともいう)のムー二―CMを見ました。

ムーニーから、はじめて子育てするママヘ贈る歌。 「moms don’t cry」(song by 植村花菜)


自分でも驚いたのですが、たかだか2年前くらいのことがもう思い出せない。既に細かい部分がぼやけています。
このCMのお母さんのように、わたしもほぼ一人で育児をしておりましたが、こんなに健気じゃなかったですね。赤子が少々泣いても自分の食事は、納豆卵かけごはんとか、レンチン冷凍うどんとか、ひたすらトン汁とかでも、絶対食べていました。でないと倒れるので、食事だけは死守していました。子どもが生後3週間くらいですでに抱っこひもで近所へ軽い散歩に連れ出していました。でないと家の中で私の息がつまりそうだったので。

ひたすら辛かったのは、コマ切れ睡眠。そして昼寝をほとんどしない赤子がぐずるので、昼間眠い目を擦りながら目的もなくあてもなく、電車にゆられたり、商業施設(の授乳室)で仮眠したりの時間つぶし。

孤独は慣れているので辛くなかったけど、寝不足の体をひきずりながら、自分がしたいことはできず(座って読書とかしていると歩けと赤子泣く)、歩き回ることが辛かったです。

夜泣きの赤ちゃんを抱えたお母さんが集える「夜泣き小屋」があれば…という話題をネットでみたことがありますが、私の場合は昼寝がしたいお母さんが集える仮眠室(母が仮眠して体力回復している間、誰か赤ちゃんを見てくれる場所)があればと切望していました。雑魚寝でいいから、安心して赤子を預けられるところの隅っこで寝かせて欲しいと。親子ひろば的なスペースにも顔を出しましたが、基本的に自分の子は自分で見ていないといけないので、眠い頭での当たり障りないママ会話は拷問に等しく、だんだんと足が遠のいていきました。暇すぎて、アイシスも赤子の世話で今頃こんな目にあっているのかな、いやあそこは夫君が気が利きそうだし子守2ダースくらいいるわ…とか妄想しておりました。

このままでは疲労困憊した私の目が行き届かず、赤子に怪我をさせたり、最悪死なせたりするのが恐ろしくなり、就職活動に飛び込み、運よく拾ってくれるところに出会い、子どもは保育園に入所でき、パートな社畜ライフの今に至ります。

赤ちゃんの性格も色々、母親の子育て観、産後の体調も様々でしょうから、このCMに噛みつく気はありません。
母親のワンオペ育児を感動話に仕立てるなと批判する人の気持ちも十分わかります。

私は見ていてひたすら切なかった。あのお母さんの頑張りと赤ちゃんの無垢な笑顔が。
ツイッターの感想で、赤ちゃんの世話は母親が主にするんだから仕方ないとか、辛いなら産まなければよかったとか、感動したとか、子ども産みたくなくなったというコメントの方が徐々にボディブローのように効いてきています。
今も昔も、これが現実というお母さんが大勢いて、どこかで赤ちゃんと二人っきりで泣いているということを想像できる社会になって欲しい。元気で生きてくれている子どもの存在自体がすでに宝物であって、子育てで辛抱した経験という宝を誇りたいわけじゃない。お母さんが一人で頑張るのは限界があるので、このCMのような夫も実家も頼れない場合、行政、近所の助産院、産んだ病院、子育て広場、電話相談、どこでもいいから第三者にアクセスしてみるとトンネルの出口が見える可能性は広がるんじゃないかと思います。わたしもそうでしたから。