豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

または私は何ゆえここまでこだわるかについて

なぜ私が「愛の泉」を捜していたかというと、「王家の紋章」の最終回があまりにも見えないから、これに尽きる。
最後どうなるの?というのは、王家読者なら一度は考えてしまう疑問だろう。
そんなとき、ふと試験対策で過去問を取り寄せて分析・ヤマ張りしたりするみたいに検討してみればどうかと思い始めたのである。ひょっとして、細川マンガには一定の傾向があるかもしれないではないか。

が。
しかし。
これは、分析能力に長けた人がやるべきであって、私のように何事も右から左へすり抜けるタイプには手に余った。しかも智栄子センセは長いキャリアを誇る作家なので、作品数も多いし、入手困難なものも、未読作品もまだまだ多い。
とりあえず、細川マンガにおいては

  1. 大富豪でなければド貧乏、両極端の階層しか出てこない
  2. 世界共通言語というものが存在する?
  3. 純愛=一途=善で押し通す!
  4. イタズラ=幼稚園児の考えるレベル。
  5. 惚れた女=即結婚を考えるのが男である
  6. 男女の仲で“つきあう”という概念自体が無い。
  7. ヒロインが作中で必ず一度は「わたし信じていたのに(騙された)ー!」と劇的に泣き叫ぶ。
  8. ヒロインおよび運命の人は作中で必ず一度は大怪我する
  9. 時間軸・距離感覚の正確性を求めてはならない
  10. 従って、ありえねーーーー!!と必ず一度は読者が叫ぶことになる。


まだまだあると思うが、ざっと挙げてみるとこんな感じか。
当然「王家の紋章」最終回の筋道など見えようはずもなかった(ただ、最後の最後でゴゴゴ――ッとラストスパートがかかるとそれなりに面白くなり、それなりに堂々と終わるんじゃないか?という気はしてきた。多数の伏線が無視されるにしても)
確かに、世にはきっちりと緻密に構成された物語、登場人物の心の機微まで繊細に取り上げた作品、ドキドキ・ワクワクするような物語は沢山ある。そういうのを読んで私は大いに感動してきた。
しかし、「王家の紋章」はじめ細川マンガはそういう方面で面白いという枠には入らないんじゃないかと思う。
私は細川マンガについて、真面目な意味で「とても個性的」という印象を持っている。
何かが過剰、何かがズレている、何かがぶっとんでいる。
そしてこの何かどこかがヘン!という、細川漫画の個性はちょっと類を見ない(と思う)。

そこがいい。
昔、王家の隙間がどーしても気になって、自分でも隙間話なんぞ考えてみたこともあるが、そうするとどうしても「辻褄を合わせる事」を忘れることができない。この傾向は私の性格的なもので、そういう風にしてつくりあげた与太話に対してはそれなりに愛着がある。が、残念ながら、読み返して全ッ然ッ面白くないッ!!というのが書いた本人の偽らざる本音である。
見事に無いのだ。オリジナルにはみなぎっている、あの一種の過剰さが。
結局、私が読みたいのは、作者の書く世界そのものなんだナ〜と気づいたとき、私は隙間を考えるのを止めた。
以来、プリンセス連載ウォッチャーとなったというわけである。とても可愛げのない、ある意味とても意地悪なファンに。

今、一番動向が気になっているのは、本編の展開でもカラーイラストでもオマケ付録でもなく、おしゃべりタイムに筆者(と思しき筆跡)がちょこっと書かれる一言コメントである。あくまで個人的印象だが、最近、辛い体験をしたファンが王家によって浮上してきた旨の投書に対して、マメに励ましを書かれることが増えたような気がする。先ごろドキっとさせられたのは「わたしも辛いことが沢山ありました。いつかそれを書きたいと思います」と書かれたコメントだった。率直に言って、私はそれすら作品で展開して頂きたいと思うのだが。


麒麟館グラフィティー (7)この「麒麟館グラフィティ」(文庫版7巻)巻末エッセイに智栄子センセが寄稿されている。1996年の発行なので、もう10年も前のものになってしまうのだが、少しだけセンセの心象風景がのぞける文章で、私は非常に面白く読んだ。
(マンガそのものは、舞台劇のような説明セリフが多発する恋愛もの。わたしはあまり馴染めず、途中で挫折した。)

「真のやさしさと強さ」。これは女性の特権であり、永遠のテーマだと思う。
真のやさしさと強さをかねそなえて持つことは難しい。
特に、逆境にあっての日々、不安や言い知れぬ悲しみを抱えながら、まわりの人々に、おもいやりあるあたたかな心を持って笑顔で接することはもっと難しい。

このエッセイで、「王家の紋章」と「伯爵令嬢」の連載を抱えてらした頃、ご母堂が突然病に倒れられ、多忙を極めて看病もままならず、亡くなるまでの6年5ヶ月もの間非常に辛い日々を送られていたことを私は初めて知ったのだった。
「王家の紋章」において、女性の永遠のテーマたる「真のやさしさと強さ」を描かれおつもりならば、私は読み続けるだろう。しかし、その一方で、周囲から文字通り崇めたてまつられているキャロルや、泣き言に逆恨みタラタラのアイシス見るにつけ、ああいう女性が作者の理想像なのかというと、深い深い疑問を感じざるを得ない。
このギャップはどう解けばいいのだろう・・・吾妻ひでお「失踪日記」にあったように、編集さんが勝手に手を入れちゃうからああなるのだろうか???


これが、目下の私の王家の謎№1である。
(激しくくだらん)