豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

他作家が語る「王家の紋章」

ミュージカルも終わり、無駄に慌ただしい日常が戻ってきました。
短くて濃い1か月半ではありましたが、ブログを書く気力も戻ってきたのはいい感じ。
とりあえず姫誌連載は続いておりますし、10月には注文したミュージカルのDVDが届くはずだし、そうそう、濱田めぐみ様が吹き替え担当されている「美女と野獣」も観に行かねば。サントラ(海外版)収録のJosh Grobanが歌う新曲「evermore」が個人的にすごくツボ(声が)。家でCDリピートしすぎ、わが子はJoshが歌い終わると拍手する始末。


さて、今回は偶々読んだ本で「王家の紋章」の話題を見つけたので、ご紹介してみます。

少年の名はジルベール

少年の名はジルベール

今更詳しい紹介は不要でしょう。少女漫画に革命を起こしたというわれる「風と木の歌」の作者、“24年組”の一人、竹宮惠子さんの語る革命前夜の自伝です。萩尾望都さんとの2年間の同居生活(通称、大泉サロン)の回想など、お二人のファンなら垂涎物のエピソードが綴られています。が、それ以上にこの本の読みどころは、竹宮さんが萩尾さんに抱いた複雑な感情と、それとどう付き合って乗り越えていったかを余すことなく率直に語り、萩尾さんの才能とセンスの新しさ、ずば抜けた表現力を的確に分析されている点でした。というか、あまりに率直過ぎて、私は読んでいて胸が苦しくなりました。そして、40年も前に若き竹宮さん含む少女マンガ家有志が、本物のヨーロッパを見たい一心で敢行した45日に及ぶ個人旅行の熱気の凄さ。彼女たちの観察眼、貪欲な吸収力に圧倒されます。
また、職業少女マンガ家としての当時の業界話も詳しく、作家たちが原稿料のあれこれや雑誌のカラーや編集方針を先読みし、編集者と駆け引きしながら仕事を取るあたりもすごく生々しくて面白い。

途中、ぽろっと「巨匠」の話題が出ることがあります。(時期はいつとは書かれていないけれど、1971年以降のエピソードか)

あるときのパーティに『週刊少女コミック』を支える細川智栄子さんの姿があった。細川さんは、双子のようにそっくりな妹さんと談笑している。編集のYさんは居並ぶ大先輩のマンガ家さんたちと、いつものあけすけな調子で親しそうに会話していた。
Yさんは少女向けのコミック誌を立ち上げるとき、少女マンガのことなんて何も知らなくて途方にくれたそうだ。そこで少女マンガをよく知っている人に意見を聞くと、まず「細川智栄子を取れ」と言われたのだそうだ。Yさんによりと「細川智栄子を引っ張ってこられなかったら、他の雑誌に対抗するのは無理。場合よっては、つぶれるかも」とまで言われ、少女マンガに関しては新興勢力小学館は拝み倒して細川さんを招いたらしい。(128p)

そして、竹宮さんは自らのライフワークとして温め続けてきた「風と木の歌」を世に出すため、編集者が提示した「次に描く作品が、読者アンケートで1位を取ればこれを通します。1位になるような作品を描きましょう!」の条件に奮い立ち、デビュー3年以上経って初めて読者アンケートを意識した作品に取り組みます。
それが『ファラオの墓』だったとは!

ファラオの墓 (2)

ファラオの墓 (2)

わたしも、この作品は読んでいますが、掲載の背景は全く知りませんでした。
竹宮さんがどういう風にキャラクターとエピソードを作っていったかも詳細に語られますが(ブレーンの増山法恵さんの助言がいちいちクールで面白い)、読者アンケート受けを狙って始まった物語が、やがて描いていることそのものが本当に楽しくなり、アンケートも気にならなくなっていったとき、自分自身で物語をコントロールできる段階に来たと思えるようになり、そして結果的に「風と木の歌」の連載開始にこぎつけます。
この自伝自体は、1976年の「風と木の歌」掲載以前で終わります。

ファラオの墓』は1年半続いたが、この連載と並行しながら2か月に一度は月刊誌に読み切りを描き、そのほとんどに及第点をつけられたことは幸福だった。連載が終わるころには読み切りは前後編となり、長編を2本抱えることもできない相談ではなくなっていった。
1976年初めの『ミスターの小鳥』という読み切りを描き終えたとき、物語の隅々まで演出しきれたこと、コントロールできたことをはっきりと意識し「スランプが終わった」ことを自覚した。
いつもと変わらない日常だったけれど、晴れ晴れとした静かな明るさがそこにあった。(218p)

しみじみしてしまいました。

以下は、竹宮さんが分析する「王家の紋章」の魅力の箇所。
王家のキャラの魅力を語ったり王道少女マンガ的構成への評論は読んだことがありますが、アンケートを争うような同業者、しかも同じ古代エジプトを舞台にした物語を描いていた作家からのコメントは初めてだったので、とみに面白かったです。

アンケートでトップを争うような順位にならないという事実を受け止めることで、謙虚に読者が何に面白さをもとめているのか、もっと知りたいと思うようになっていた。
そのきっかけにもなった作品が、細川智栄子さんの「王家の紋章」(「月刊プリンセス」)だ。「ファラオの墓」と同様に古代エジプトの王家を題材にしている。細川さんの人気の取り方は、それこそ小さいころから読んでいてよくわかっているつもりだったが、同じ題材で描かれているものを雑誌で読んでみると、細川さん流のやり方があり、こうしないとトップをとれないんだなという事実に気づかされた。
たとえば女の子のアップが魅力的で、登場人物の関係性も女の子を中心とした展開で盛り上がってくる。私が真似したくないとかそういう次元はとうに超えていた。単に自分にはできないということを理解した。これは、作家として違う質のものだとしか言いようがない。
エジプトの描き方にしても、それがもっと優雅な世界で展開されていないといけないのだ。「王家の紋章」のように。戦いひとつでも、ベルサイユ宮殿のなかで戦うくらいのケレン味が必要なのだ。私が描いていたのは、砂嵐とか水の、自然の風景とともにある世界だ。やはり自分が見えていない世界観を描くのは無理だったのだろう。
作家は結局、自分の核を中心にしてその周囲を付け足しながら、成長して作品を仕上げていくしことしかできない生き物なのだ。自分が持たないもので連載トップを勝ち取ったとしても、満足感はないものなのかもしれない。
(214pより)

ケレン味、そう、言い得て妙!
細川風味というか、あの様式美、昭和風味な大げさな(クサい?)わざとらしい演出が私は好きなんだよなあ。。。刷り込みってコワい。。。と改めて思ったのでした。