豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

 2004年10月号プリンセス連載分雑感

【今月のネタバレあらすじ】
シリア北西部、ユーフラテス河沿岸のタブサコス一帯では、愛妃の手がかりを求めるメンフィス王の捜索が続いている。別働部隊を率いたウナスが合流するも、あたりは既に日も暮れはじめ、不穏な情勢となりつつある。

同じ頃、そこからやや西に位置する河港の町バルバリソッスにある商人バザルの屋敷では、待たせていたエラム人商人との商談を終えた主人の主催で宴会が始まろうとしていた。噂の黄金の髪の奴隷を披露してくれと迫る客人に、バザルは渋々ながら応諾し、酒席へ連れて来るよう奴隷番ブズルに命じる。しかし、肝心のキャロルの容態が芳しくないのに焦ったブズルは一計を案じ、ミノア製の大皿の上にキャロルを乗せて客間へ連れてくる。新趣向に客人たちは大喜び。その時、屋敷にアルゴン王から「黄金の奴隷を買いとりたい」との早馬が届いた。時をおかずしてラガシュ王からも同様の申し出が来たことから、客間は騒然となる。

高熱に苦しむキャロルは、この騒ぎを知り脱出を決意する。その時、窓から入って来たのはあの子ぎつね。再会の感激に泣き咽ぶキャロルだったが、時はそれを許さないことを悟り、髪のひと房と名前を子ぎつねに与えたのち、メンフィスの許へ届けるように言い聞かせて逃がすのだった。

→以下11月号へ続く


【今月のお言葉】
「メンフィス わたし熱で体が弱って…脱出してもエジプトには帰りつけないかもしれない」
「メンフィス わたしはあなたを守りたいと…あなたを守りたいと願って 21世紀からはるかな時をこえて この古代へ…雄々しいあなたのそばへ来た」
「――でもいま――アルゴン王やラガシュ王に捕まれば、逆にあなたを苦しめることになる そんなことはできない」
「わたし なんとしても脱出するわメンフィス 命をかけて」
「でももしかしたら もう…なつかしいエジプトに帰り着けないかもしれない メンフィスの腕の中に帰り着けないかもしれない」
「でも たとえ生命がなくなっても、わたしの心はあなたのそばへいくわ…きっと あなたのそばへいくわ」
*1



【今月のオドロキ】
今月は久々に「王家の紋章」が雑誌の表紙を飾っている。そのせいか、いつもは1〜2冊しか入荷しない本屋さんでも5冊山積み陳列されているのをみるにつけ、良くも悪くも、この漫画はこの雑誌の看板作品であることは変わらないんだなぁと、妙な感慨に耽ってしまった。
で、肝心の中身なのだが。
いやぁ〜オリンピック効果っていえばいいのか、これはっ!日本女子選手が頑張り、老若男女を元気付けた(らしい)アテネの余波がこんなところに現われるとは…。何しろ、作者はテレビ大好き&テレビ漬けらしいので、こうなったら毎月オリンピックやってくれんかーーーー!

自分でもあらら〜ビックリ!!てのが今回のお話を一読しての印象である。
かといって「ストーリーが」、というのではないのが微妙ではあるものの。まー、私はこの連載に関してだけは、そんなものに大して重きを置かなくなった腐れファンなので、もう話がどこへ飛んでゆこうとかまやしない。
今回は、五つ☆採点でいくと
表紙    ☆☆☆☆ (攻め風味のイズミル王子の顔つきが○)
ストーリー ☆☆☆  
キャラ   ☆☆☆       

予想に違わずストーリーとしてはほとんど進んでないのだが、意外や意外!
キャロルの出来が良い。かなり。
今回も冒頭は熱でモーローとしていたので、こりゃまたヤドナナの出番だねと内心ナメて読んでいた(失礼!)私だが、どうしてなかなか、今回のヒロインはかなり腹が据わっている。元キャロルファンの成れの果ての私としては、嬉しい驚きで、枕抱きしめて鳴き咽びたい気分じゃ!表紙登場もカードプレゼントも編集部の苦肉のフォローぢゃないのね〜〜〜100%受身のヒロインの救済話なんて、当世では鼻白まれることはあっても、愛されることは至難の業。
わたしとしても、少々おバカだろーが、基本的に元気で健気な女の子が好き♪
そして女としてではなく、人間として優しければ最高に好きなのさ♪

というわけで、バザルの客人が、フツーに商談相手のおっちゃん連中だったという痛恨のフェィクもスルー。「地図が欲しい〜」と熱望していた私にとって、公式見解(地図)が出された喜びもスルー。その地図には肝心のメンフィスとイズミルとヒューリアの現在位置が出てないのもスルー。かといって最も至近距離にいるメンフィスは、バザル屋敷を一向に見つけられないってのもスルー
遠国のアルゴンやラガシュのほうが情報収集力に長けていたという事実も笑ってスルー。
女体盛りならぬキャロル盛りってのも乾いた笑いでスルー。
子ぎつねがとうとう辿りついちゃったというオチもスルー。

すべては、ラストあたりの余韻の良さにある。
特にキャロルの涙ながら「でも たとえ生命がなくなっても、わたしの心はあなたのそばへいくわ…きっと あなたのそばへいくわ」というシーンはけっこう感動していたワタシなのである。
これが、腹を空かした臣民に向って、「そんなに空腹なら、わたしが買っておいたパンを食べたらいい(大意)」と言い放ったあのおバカ王妃と、ホントに同一人物なんでしょうか???すごい変わりようでビックリだよ。
結局、ケツシ将軍の恫喝もイリシュの暴力もブズルの威嚇もバザルのタラコ唇も、甘ったれたキャロルの性根を本格的に目覚めさせるには至らなかったようである。ここまで散々「助けてメンフィスー!」と引っ張って引っ張って、アルゴン王やラガシュ王が来る!!!と聞くなり君子豹変…畏れ入った。ということは、ご自分が、かつてヤツらに何をしたか、どれくらい恨まれているかくらいは、姫さまはよ〜くわかっていらっしゃるということですね?
キャロルという人は、独りで乱世に放り出され、自分が何とかしなきゃ!何とかするわ!というシチュエーションに叩き落さねば、本当の美質が出てこない面倒なヒロインなのだ(だから延々誘拐劇がループされるというわけ)。「お姫様」というより、能動的な部分を深く隠しているひとというべきかもしれぬ(要は、人間としてなるべく楽したいタイプか否かに帰着するのではないかと…え?じゃあ楽したい私はお姫サマか??)
ゆえに、甘やかすしか能のない男ばっかり出てくると、キャロルは輝きを失うばかりかバカ女にまっしぐら。当然、近年の連載はかなり苛立たしかったりする。キャロルが甘やかされた境遇で能天気に振舞すぎたあまり、ファンにまで見放されるようなヒロインになってしまったのは、さすがに気の毒な気がしないでもない。彼女の自業自得、何より、ヒロインの魅力をそういうふうにしか描かない作者の怠慢に原因があるとはいえ。いまも昔も、わたしが買っているのは、キャロルの火事場のバカ力=バイタリティなのだ。例えその行動が正しくなくても、効率よくなくてもいいんだよ。走るんだよ、キャロル〜〜〜!立ち止まったらアンタはヒロインとして死んじまう運命にあるんだ。まるでマグロみたいだけど。

確かに、ヒロインモテモテ漫画を読むときに、どうせ漫画なんだからそのヒロインに同化して、美男子に熱烈求愛される気分になって読んだほうが気もちいい♪というご意見にも骨の髄から共感できる。が、しーかーし!
私は己の男心をくすぐるヒロインを愛でながら読むほうが気分いいという性分なので、ライバル達には、それなりのカッコよさを求めてしまう傾向がある。これがたとえかなり偏った趣向でも、あたしが思ってる限り、女の子の夢とはそーいうものに違いないのだ(開き直るな)。まぁ、この場合、キャロルを愛でる心境を「男心」というのは正確じゃないかもしれないが。
「女は人に可愛がられるのが幸福なのだという神話を女の子を持つ親は信じていますが、でも女の両手ははいつも可愛がるものを求めて宙に差し出されている」から、というべきかな(田辺聖子ジョゼと虎と魚たち」参照のこと)。

私は今までずっと、子キツネ(フェネック)が邪魔、ウザイ、キツネ出しゃばりすぎ、と文句をタララに述べてきた人間だが、今回の再会シーンを読んで、やはりこうまで大長編漫画の場合、途中だけを切り取ってあーだこーだと吼えても仕方ないのだ、とつくづく思い知った。
作者がどうしても仔キツネの恩返しシーンを入れたきゃ、好きにしてくださいなのだ。問題は、そのさじ加減というか、ストーリー全体から見たキツネの露出バランスだろう。大体子どもとか動物がでてくると、泣かせ路線狙いは明々白々なので、そういうベタは私しゃ忌避したい。だから、作者がこうまでフェネックを描き続けるからには、キャロルのボディーガードにさせるために再会させるのか?…などと予想しては、げんなりしていたりして。
だが、今月のお話でキャロルは再会したフェネックに「使命」を与えてすぐに自分の許から去らせた。少なくともいままでのようにあの仔を「可哀想な愛玩物」としてではなく、「対等に」扱ったように見えた。二度と戻れぬかもしれないエジプトを偲び、「なつかしいエジプトのナイル河に繁るパピルスから…あなたをパピルって(名前をつけるわ)」と子きつねに語りかけるシーンの、なんと切ないことよ。「私を捜して 来てくれてありがとう パピル」と別れ際に抱きしめた、真摯な感謝の美しさよ。
作者がヒロインの覚醒をここまで持ってくるために今までのおポンチ王妃編を描かれたのだとしたら、いつまでも名無しはヘンだろ〜〜ミンミちゃん追悼編だろ〜〜と野暮にツッコミまくってたかつての自分の浅はかさを、私は大いに恥じよう。これであとは、メンフィスの腕のなかでメッセンジャーの役割を果たしきったパピルちゃんが安らかに死んでくれたら、天国のミンミちゃんも心愉しむことでありましょう。ええ、きっと。

さあ、ヒロインは、(やや)持ち直した。
では、その他はどうだ?
「他人の愛を乞い 自分を憐れみ 貶めるのをやめる
誰にも選んでもらえないと 泣きわめくのをやめる
これから先の未来 友だちも 好きな人も やりたいことも 選ぶのは私
どう生きるかは私が選ぶ」


これは今月号に連載されていた別作品にあった印象的なセリフだが、私はこれぞ少女マンガ的真理ではないかと思うのである。(私がこの作者さんの熱血作風が個人的に好き、と云う点を差っ引いても)。
たとえ舞台に大穴空いた歴史漫画であろうと、絵が古臭い少女マンガだろうと、根はハーレクィンロマンスだろうと、全編奇天烈キャラのオンパレードだとしても。。。。。
それでも。
そのマンガ世界が人間のナマの心に斬り込めないはずはない。
叶うなら、一時心憂い現実を忘れさせてくれる、芳醇な嘘を語って欲しい。
そして、虚構のなかに、生きた心と永遠のロマンを見せて欲しい!

バザル屋敷に集うていた、元気な商人達が私は好きだ。樹脂や油、染料や織物を買い付け、船や駱駝で古代オリエント世界を駆け抜けた男達や女たちが。たとい、彼らの痕跡は近代化の名の下にダムに消され、今やその地は泥沼の内戦に突入し憎しみと怨嗟にまみれつつあるとしても、ひととき空想を巡らせば、彼らは生き生きとよみがえってくる。そしてまぎれもなく彼らはそこに生きたのであり、現代人も彼らと同じ夢を見ることができるはずなのだ。
私が読みたいのはそういうお話。
願わくば次回もこの物語が同様のトーンで語られますよう、文字の女神セシァアトに祈りたい。

*1:キャロル