豆の山

クールなハゲと美女愛好家。家事育児パートに疲弊しつつ時の過ぎゆくままなる日々雑感をだらだら書いています。ナナメな王家ファン。

 王の瞑りをさまたげるもの


身内に病人が出て今週末病院付き添いの応援を頼まれ、ン年ぶりで夜行バス(しかも4列スタンダード!)で大阪に移動。
まぁ、私ごときが付き添いで出来ることなどたかがしれているので、午前中から夕方まで病院には詰めていたが、夜は夜で美容院にふらっと入ってみたり、宿泊先で自炊しつつのんびりTV見て過ごしたり、梅田に出てイカ焼きを食べたり、ロフト地下のいい感じのミニシアターで映画(「ヴィーナス」)を観たり古書店街をぶらぶらしたり。帰りには京都も立ち寄ったし……うぅむ、ちと羽の伸ばしすぎの感ありか。
そんな旅先で、ひと風呂浴びて髪を乾かしているとき、背後で点けっぱなしだったテレビから「ツタンカーメン王のミイラが〜」という音声が聞こえたので思わず振り返ると、ガラスケースに入ったミイラの横顔が画面に映っていてドライヤーを取り落とす。
なんかまた調査でもやンの?とテレビに近づいてみると、なんと王のミイラが棺から出され、ガラスケースに容れられて一般公開されるというニュースであった。

驚いた。
トゥト王は(いまのところ)自分のお墓で自前の棺に入って永眠できているたった一人のファラオということだが、押し寄せる観光客のせいで玄室環境が激変し、ミイラの保存状態が危機的状況にあるらしい(もともと、ハワード・カーターが発掘した当時より、調査過程では現代の感覚からするとかなり手荒な扱いを受けていたらしいが)。このままではミイラは崩れて塵になってしまう。そこでミイラを救うため、棺から出してミイラの覆いも取りのぞき、顔を剥き出しのまま特殊なガラスケースに安置し直すことになったという話。カイロの博物館に移すのか?とも思ったが、世界的有名スポットだからかとりあえず今のところは現状のまま玄室内でガラスケース越しに一般公開されるみたいだ。

英国BBCのサイト上で、棺を開けて移動させているイベントの模様が動画で公開されていた。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/7077423.stm


なんだかねぇ……と思ってしまうのは、私が有機物などすぐに分解されてしまう風土に育った人間だからだろうか。
正直なところあのニュース画像を見ながら、私は初めて少年王のことを心から気の毒に思った。
考古庁がいくら高邁な理想を掲げたところで、あのミイラが「見世物」であることには変わりはなかろう。だったらせめて、棺に納めたままの保存措置を検討できなかったものだろうか。いくら有名人とはいえ、死者の顔をそんなに見たいものなんだろうかなぁ。例の黄金のマスクがあるんだから、もういいじゃない。
と、こういうウェットなこといってると、敏腕実業家ライアン・リード氏あたりに乙女の感傷とか一蹴されそうだけど。

このニュースに触れた日の私は否応なく老いや死や病を身近に触れざるをえなかったせいか、「これからは皆さんもツタンカーメンの美しい顔を見ることができる。彼は出っ歯気味で笑顔のすてきな美少年だ」との無邪気な談話には苦笑するしかない。


かつて紅顔の美少年たりしひと、今はただの黒い塊。
かつての誓いは塵と化し
かつて愛してくれたひとは私を忘れ去り
かつて同じ景色をながめたひとは私の傍におらず


儚いなぁ
美しいなぁ
愛しいなぁ、ひとのよというものは。


と思うのですよ。
そんな私は「ヴィーナス」で若く愚かな女の輝きに惑乱している老俳優にゾクゾクしちゃった。ピーター・オトゥール、老いてますますエロさに磨きがかかった感あり。


「あたしこの店に来たとき思ったの、――五十年まえには、あたしはこの世に生まれてはいなかった、そして五十年あとには、死んでしまって、もうこの世にはいない、……あたしってものはつまりはいないのも同然じゃないの、苦しいおもいも辛いおもいも、僅かその間のことだ、たいしたことないじゃないのって、思ったのよ」
 山本周五郎 『将監さまの細みち』 より